■“陰のMVP”を地元で紹介した人物が!
由伸の少年時代の所属チーム「伊部パワフルズ」で監督をつとめていた大饗利秀さんは今年2月、本誌の「シリーズ人間」取材で小学生のころの彼について、
「根っからの負けず嫌いでした。チャンスで打てなかったり、大事な場面でエラーしたりすると、悔しがって泣いていました」
と証言。さらに小6でキャプテンを務めた際の思い出をこう振り返っていた。
「1年生や2年生など年の離れた子の面倒をよく見ていましたね。遠征に行くと、率先して下級生の荷物や道具を運んでいました。どうすればいいか迷っている子を見つけると、自分から近づいて教えてあげていた。いいお兄さんで、みんなに好かれる性格でした」
その行動の背景には《全てに感謝》というチームの合言葉(スローガン)があったという。
「野球道具やグラウンド、保護者の方々のサポートがあって、仲間や対戦相手がいるから、野球ができる。だから、全てに感謝しながらプレーしなさいと言いました。味方がエラーすると『何やってんだ』と怒る子もいる。そんなときに『合言葉を思い出そうね』と」
その“座右の銘”はドジャースと12年460億円の契約を結んでいる現在も変わらないようだ。大饗さんはこうも語っていた。
「小さいころから体もきゃしゃでしたし、メジャーの選手になるとは想像できなかった。今も、帰省して色紙やボールにサインをしてくれるとき、『全てに感謝』と書いてくれます。少年野球の合言葉をいまだに覚えてくれていて、その精神を貫いている。なかなかできることではないと思います」
由伸の“MVPの原点”は学生時代にあったようだ。そして“名パートナー”との運命の出会いもあった。前出の友成さんは続ける。
「第6戦と第7戦で連投できたのはオリックス時代から由伸選手をケアしている矢田修トレーナーの存在も大きい。矢田さんは“陰のMVP”ともいわれています。
由伸選手はオリックス入団後に大阪で接骨院を営んでいる柔道整復師の矢田さんと出会いトレーニング方法を習い始めました。ドジャース入団後も矢田さんは渡米してつきっきりで指導しています」
実は、きゃしゃな体格の由伸のプロ入りを危惧して、高校時代の彼に矢田さんを紹介した人物がいる。故郷・岡山でスポーツ店「ウィズシー」を経営し、少年野球チームの監督も務める鈴木一平さんだ。鈴木さんは由伸の大躍進について、本誌の取材にこう語る。
「由伸のことは全然心配していませんでした。連投しても、ずっとそばにいる矢田先生が『いける』と判断してのことなので、大丈夫だと思って安心して見ていました」
世界一が決まった瞬間、鈴木さんは、由伸に「おめでとう」とLINEを送ったという。
「“ありがとうございます”で始まるお礼のメッセージが返ってきました。そこには感謝の気持ちを表す言葉が綴られてました」
鈴木さんは由伸の実父と同じ年で、由伸親子のことは中学生時代から知っていた。高校入学前の由伸が、鈴木さんが立ち上げたオリジナルブランドの投手用&内野手用グラブを購入したことも。いまも鈴木さんのお店には、由伸がオリックス時代に書き入れたサインボールが置いてある。そこには《全てに感謝》の直筆メッセージが――。
ドジャース入りしてMVPに輝いた由伸は今回、恩人である鈴木さんに改めて感謝を伝えたのだ。鈴木さんは最後にこう語る。
「MVPや世界一の文字だけ見ると由伸は一見、極めたように映るかもしれません。でも投手・山本由伸の成長という面では、彼も矢田先生も“もっと進化する余地がある”と見ていると思います。彼に聞いたら、きっとこう答えると思います。『僕は決して、タイトルを取るためだけに野球をやってるんじゃない!』と……。
由伸が投手として成長し完成していく様子を毎年見せてもらえたらこんなにうれしいことはない。そうしたらタイトルやチームの優勝はおのずとついてくるはずです」
《全てに感謝》する謙虚さが世界一の剛腕投手を誕生させていた!
画像ページ >【写真あり】オリックス入団時の山本由伸(他4枚)
