■1組だけの“全日本”…競技の火を守り続けた
フィギュアスケートのペア競技は、長い間、日本ではマイナーな存在だった。そんなペアの道を切り開いてきたのが、成美さんだ。3歳でスケートを始めた成美さん。親の仕事の関係で“ペア大国”中国に住んでいた12歳のときにペア競技への転向を決めた。2004年、中国の国内選手権で6位に入賞するも、中国内での競技継続の条件として“国籍変更”を求められ、日本への帰国を余儀なくされる。
「当時、日本はペアが練習できる環境も少なくて、千葉の自宅から横浜で指導していた都築章一郎先生のもとに通いました。生徒にはゆづ(羽生結弦さん・31)もいて、仲よしなんですよ」
2006年、新たに組んだペアと全日本ジュニア選手権に出場するが、エントリーは1組だけ。ペア競技の開催自体、7年ぶりだった。そんな環境でも努力を続けた成美さん。2012年にはマーヴィン・トランさん(カナダ)とのペアで、世界選手権で日本人初の銅メダルを獲得する。しかし、同年に大けがを負ったことで、「迷惑をかけられない」とペアを解消した。
失意のなかリハビリをする成美さんに、ジュニア時代からの知り合いだった木原選手とペアの話が持ち上がり、結成。
「無駄な力を入れずにぐいぐい進む龍一のスケーティングが好きでしたね。一緒に滑るのがうれしくて、ペアを組み融合していくような気持ちでした。ただ、当時、シングルからペアへの転向は“シングルで勝てないからだ”と噂されるようなこともありました。そんななか、龍一がペアに挑戦してくれて、一緒に滑るうちにペアの魅力を感じてくれたのがとてもうれしかったです」
成美さんがペアのパートナーに求める唯一の条件が“無臭”ということだが……。
「もちろん、龍一は無臭です。汗をかくと柔軟剤のよい香りがして、センスいいなと思いました(笑)」
結成翌年の2014年にソチ五輪出場。長野五輪以来、4大会ぶりのペア日本代表だった。団体戦は5位、個人戦は18位と爪痕を残した。
「満足はいかない結果でしたが、結成から一日も欠かさず、オリンピックに向けて、2人でできることをしたと思います」
ペアの相手とは、なるべく一緒に過ごすように心がけていた成美さん。木原選手の性格をこう語る。
「龍一は、『なるちゃん、これ知ってる?』と、面白いことを見つけるのが得意な人。つい笑ってしまうようなことを共有してくれて、笑いが絶えなかったですね」
一方、まじめすぎる一面も……。
「練習の拠点はアメリカでした。急きょのペア結成で準備もできず、龍一は英語もあまり話せない状態でした。私のほうは海外が長いので平気だったんですが……。慣れない海外生活で、龍一には頼るのが私しかいなくて。『なるちゃんに迷惑かけている』と自分を責めているような姿を見るのがつらかったですね」
2015年、ペア解消。それぞれの道を歩むことになった。
■今はやきもちゼロ! りくりゅうは思い描いた理想のペア
成美さんは2018年に選手を引退。’20年から芸能界を目指し松竹芸能に所属する一方、学業にも力を入れ慶應義塾大学を卒業した。卒業後は、タレントとして活躍する一方、JOC(日本オリンピック委員会)の理事や評議員として、スポーツの発展にも力を入れている。
一方、木原選手は、2019年に三浦璃来選手とペアを結成。「りくりゅう」として、2022年の北京オリンピックで、団体戦の銀メダル、個人戦7位入賞と、着実に成績を上げていった。その活躍を解説者として見守るようになった成美さん。
「当初は、元パートナーの活躍に少し悔しい気持ちと、応援する気持ちがせめぎあっていました。でも、今はやきもちゼロ!(笑)りくりゅうのスケートは本当にかっこいい。そして、何より2人の信頼関係。これが私の思い描いた理想のペアだって、心から応援しているんです」
“ペア不遇の時代”にも、競技の火を絶やさなかった成美さん。今回、解説者として脚光を浴びることになった。
「自分にも『すごい、すごい』って言ってあげたいですね。私の夢はスポーツ庁長官。運動が好きな子供を増やしたいんです。でも、芸能界でも頑張りたいし、もっとペアをする人を増やしていきたい。私って、たくさん夢があるんです(笑)」
そう笑う成美さん。五輪金という最高の夢をかなえた、りくりゅうに背中を押され、自分の夢を追い求めていく。
画像ページ >【写真あり】解説者として脚光を浴びた高橋成美さん(他3枚)
