シリーズ人間の最新ニュース
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現代に藤原定家の歌を継ぐ「冷泉家」当主夫人語る邸宅売却危機
2019/02/09 06:001月14日、京都市上京区の「冷泉家住宅」。年頭恒例の「歌会始」が厳かに幕を開けた。「歌聖」と謳われた公卿・藤原俊成と藤原定家父子から連なる歌道宗家・冷泉家。京都御所と同志社大学のキャンパスに挟まれた“陸の孤島”のようなその住まい、冷泉家住宅は、わが国で唯一、完全な形で現存する公家屋敷だ。この日、集まった約70人の門人に、歌会の段取りを説明していたのは冷泉貴実子さん(71)。和歌のお題を決めるなど、 -
藤原定家子孫・冷泉貴実子さん「パリで実家の価値に気付いた」
2019/02/08 16:001月14日、京都市上京区の「冷泉家住宅」。年頭恒例の「歌会始」が厳かに幕を開けた。「歌聖」と謳われた公卿・藤原俊成と藤原定家父子から連なる歌道宗家・冷泉家。京都御所と同志社大学のキャンパスに挟まれた“陸の孤島”のようなその住まい、冷泉家住宅は、わが国で唯一、完全な形で現存する公家屋敷だ。この日、集まった約70人の門人に、歌会の段取りを説明していたのは冷泉貴実子さん(71)。和歌のお題を決めるなど、 -
皇室だけではない…藤原定家の子孫・冷泉家が伝える「歌会始」
2019/02/08 11:00「年のはじめに~、同じく~、早春野辺~ということを詠める和歌」1月14日、京都市上京区の「冷泉家住宅」。袿袴を纏い、おすべらかしを結った女性が、独特の美しい抑揚とともに、今年初めの歌会のお題を告げる。こうして、年頭恒例の「歌会始」が厳かに幕を開けた。「歌聖」と謳われた公卿・藤原俊成と藤原定家父子から連なる歌道宗家・冷泉家。京都御所と同志社大学のキャンパスに挟まれた“陸の孤島”のようなその住まい、冷 -
「金メダルのその先へ」車いすラグビー・倉橋香衣さんの思い
2019/02/04 11:00東京・お台場の「日本財団パラアリーナ」。ここで車いすラグビーの練習が行われていた。アリーナに、「がしゃん、がしゃん」「ごつっ、ごつっ」と車いすのぶつかり合う金属音が響き渡る。その迫力たるや、想像をはるかに超えていた。激しくぶつかり合うのが特徴の車いすラグビーは、男女混合の競技である。1チーム4人で構成し、ボールを持ってゴールラインを越えたら1点入る。選手は障害の度合いによって持ち点が設定され、0. -
車いすラグビー金メダル・倉橋香衣さん「車いすが幸せくれた」
2019/02/04 06:00「悲しいということはなかったんです。ただ入院中、夢はよく見てました。歩いていたら、急に肩から下がなくなって、ふわっと浮いて、無重力の空間を進んでいる夢とか。ズルズルお尻をついて手だけで動いているような夢とか。『こんな夢を見るねん』と友達によく話していました」楽しそうに笑いながら、語る倉橋香衣さん(28)の口調はほんわかとしている。彼女の人生を変える事故は、20歳のときに起こった。トランポリン大会の -
美智子さま「帽子に込められた『訪問先への愛と祈り』」
2019/01/28 11:00東京・西麻布の静かな路地の一角に、モディストで、美智子さまはじめ、皇室の帽子デザイナーでもある石田欧子さん(54)が父・暁夫さんから受け継いだアトリエがある。1階は、帽子ショップになっていて、カラフルな帽子が並ぶ。2階から4階がアトリエだ。欧子さんは現在、これらを運営する会社、オートモード平田の責任者でもある。モディストとは、洋服のオートクチュールに匹敵する高級帽子を作るデザイナーのこと。「私の父 -
美智子さまの帽子デザイナーが明かす「退位後の新作」
2019/01/28 06:00「こんな帽子は、1960年代のジャン・バルテ以来、見たことがない。パリでは、もう、こんな本物の帽子を作れるモディストはいなくなってしまいました」散歩の途中、ギャラリーのドアを開けて入ってきた老紳士は、興奮気味にそう言うと、展示していた彩り豊かな帽子に目を奪われていた。2016年4月。パリのセーヌ通りにある、「GALERIE DE L'EUROPE」という小さなギャラリーでの出来事だ。モディストとは -
SUGIZO「居場所を探して…」紛争地や難民キャンプへ赴く理由
2019/01/18 11:00昨年10月半ば、パレスチナ自治区にあるアイダ難民キャンプ。長年イスラエルの軍事占領下にあり、その象徴が、町のあちこちに築かれた8メートルもの「分離壁」だ。約100人の難民の子どもを前にギターを弾くのは、LUNA SEAとX JAPANのギタリスト、SUGIZOさん(49)。ギターが鳴り響き、弾むビートに現地の子どもたちは、笑顔で歌い、跳ねまくる。日本を代表する2つの人気ロックバンドやソロでの音楽活 -
パレスチナ、シリア難民の力に…「憎しみ超える」SUGIZOの音
2019/01/18 06:00中東の乾いた空に、大音量のダンスロックが響きわたる。初めて接したギター生演奏の迫力に戸惑っていた子どもたちが、2曲目になると手拍子しながら踊りだした。抑え込まれていた好奇心がはじける。見てるだけじゃつまらないとばかりにギターの弦にさわってきたり、パーカッションを一緒にたたいたり。日本ではありえない光景に、ミュージシャンたちも愉快そうに笑顔で演奏を続けた。昨年10月半ば、パレスチナ自治区にあるアイダ -
河瀨直美 私が東京五輪で撮るのは「支え合って生き抜く力」
2019/01/10 06:00「ドキュメンタリー国際映画祭のために、アムステルダム(オランダ)に1日。その後、ニース(フランス)で『Vision』(日本公開'18年6月)の先行上映があり、パリには4日間の滞在でした」前夜、帰国したばかりというヨーロッパ出張を振り返る河瀨直美監督(49・※瀨は旧字体)。パリのポンピドゥー・センターでは、1月6日まで「河瀨直美監督特集特別展・特集上映」を開催。特別展では「生命」「自然」「世界」「家 -
東京五輪・公式映画監督 河瀨直美を支える「家族のつながり」
2019/01/09 16:00「すでにさまざまなところで、東京五輪に向けたドラマが始まっています。それを見つめることが、この仕事の醍醐味。時間の許す限り、各地に足を運んで撮影したい」2020年東京五輪公式映画の監督に選ばれた河瀨直美さん(49・※瀨は旧字体)は、10月23日の就任記者会見で、こう抱負を述べた。とことんリアリティを追求する。それが河瀨さんの作風だ。ドキュメンタリー作品だけでなく、劇映画でもその姿勢は徹底している。 -
三浦友和 介護、年金…妻・百恵さんとの「食卓での会話」明かす
2018/12/24 16:00「(次男・貴大さんの主演映画)『栞』は僕も、新宿の映画館で見ましたよ。初めてでしたね。初めて、自分の息子ということを忘れて見られたという体験をしました」11月下旬の午後3時。インタビュー場所であるホテルの一室に、約束の時間より少し前に現れた三浦友和さん(66)は、ジャケットもパンツも、そして眼鏡も黒一色。唯一、純白のスニーカーが目にまぶしく映った。シンプルでスッキリした装いが、渋くキマる66歳は、 -
三浦友和 妻・百恵さんへの告白「還暦迎えても、僕は一生守りぬく!」
2018/12/24 11:00「最近は、記事が出ると、そのまま別のメディアがネットに上げて、拡散していくでしょう。実は、僕もネットで読んだんです。そこには、祐太朗の仕事のことで、妻が誰かに頼み込んだように書かれていました」11月下旬の午後3時。インタビュー場所であるホテルの一室に、約束の時間より少し前に現れた三浦友和さん(66)は、ジャケットもパンツも、そして眼鏡も黒一色。唯一、純白のスニーカーが目にまぶしく映った。言うまでも -
ロバート・キャンベルさん「LGBTを遠巻きに見ている日本社会」
2018/12/15 11:00今年7月、自民党の杉田水脈衆院議員が月刊誌に「LGBTは『生産性』がない」と寄稿し、直後に谷川とむ衆院議員が「(同性愛は)趣味みたいなもの」と発言したことを受け、朝の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)のコメンテーターとしても知られているロバート・キャンベルさん(61)は自身のブログで反論を展開。そのなかで、20年来の同性パートナーの存在を明かしている。現在、東大名誉教授で、国文学研究資料館館長を -
ロバート・キャンベルさん「還暦祝いが突然の結婚パーティに」
2018/12/15 06:00今年7月、自民党の杉田水脈衆院議員が月刊誌に「LGBTは『生産性』がない」と寄稿し、直後に谷川とむ衆院議員が「(同性愛は)趣味みたいなもの」と発言したことを受け、朝の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)のコメンテーターとしても知られているロバート・キャンベルさん(61)は自身のブログで反論を展開。そのなかで、20年来の同性パートナーの存在を明かしている。現在、東大名誉教授で、国文学研究資料館館長を -
「義父が世界を広げた」ロバート・キャンベルさん語る家族の支え
2018/12/14 11:00今年7月、自民党の杉田水脈衆院議員が月刊誌に「LGBTは『生産性』がない」と寄稿し、直後に谷川とむ衆院議員が「(同性愛は)趣味みたいなもの」と発言したことを受け、朝の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)のコメンテーターとしても知られているロバート・キャンベルさん(61)は自身のブログで反論を展開。そのなかで、20年来の同性パートナーの存在を明かしている。「昨夏のことです。13歳まで育ったブロンクス -
ロバート・キャンベルさん「360度から」結婚祝福に感謝
2018/12/14 06:00「実は、もう一つみなさんにお伝えしたいことがあります」昨年10月のロバート・キャンベルさん(61)の誕生日パーティでのことだった。朝の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)のコメンテーターとしても知られているキャンベルさん。60歳を迎える節目のタイミングで、親しい友人を50人ほど招いて、パレスホテルで還暦を祝うパーティを開いていた。挨拶に立ったキャンベルさんは、ほんのおまけのつもりで報告した。「8月 -
小島慶子「家族と乗り越えた発達障害」
2018/12/10 16:00元TBSアナウンサーで、現在はタレント・エッセイストの小島慶子さん(46)が今夏、インターネットで発信したある手記が注目を集めた。それは連載中の『日経DUAL』7月2日付の記事。そこには、40歳を過ぎて発達障害の1つである、ADHD(注意欠如・多動症)と診断されたこと。そして子どものころはもちろんのこと、女子アナ時代も、子育てに励むいまも、常々生きづらいと感じてきたその根っこに、自らの発達障害の特 -
小島慶子「41歳の新発見。『私、発達障害でした』」
2018/12/10 11:00「私は家でも学校でも、ひどい問題児でした」彼女は、熱を帯びた口調で子ども時代の思い出を語り始めた。「まず、落ち着きがない。常にもじもじして、じっとしていられない。声を出してはいけないところで出したり、グネグネしたり(笑)。それから、嫌なことに耐性がまるでなくて、受け流すことができずにすねて周囲を困らせたり、かんしゃくを起こしたり、駄々をこねたり」ひとたび火がついてしまったら簡単には止められないのか -
「公約破ったら即離婚」玉城デニー知事の妻が語った決意
2018/12/03 11:009月30日に行われた沖縄県知事選挙。「辺野古新基地建設阻止」を公約に掲げた玉城デニーさん(59)は、同県知事選史上最多となる、約39万もの票を獲得し圧勝。10月4日、知事に就任した。安倍晋三首相との初会談も、就任9日目には実現。改めて示された「新基地NO」の民意を直接、国のトップに伝えた。しかし、順風満帆な船出というわけではない。会談からわずか5日後。防衛省は、8月に沖縄県が辺野古の埋め立て承認を -
「議論になるとビールが…」玉城デニー知事夫妻の日常
2018/12/03 06:00「妻は4人の子を育てながら、ずっと保育士をしています。なので、当たり前ですが、僕は家事もします。台所にも立ちますよ。布巾でこうして拭いてる姿だってほら、どう? 板についてるでしょ」夫は笑顔で、手際よくキッチンカウンターを拭き始めた。その様子を含み笑いを浮かべ眺めていた妻が、やおら手を伸ばす。「手伝おうか?」布巾を握る夫の手の上に、自分の手を重ねてみせたのだ。不意にあてられた仲睦まじい夫婦の姿に、カ -
藤城清治さん 放射線の防護服に身を包んで描く「命の影絵」
2018/11/22 16:00影絵作家の藤城清治さん(94)といえば、瞳の大きな“こびと”や愛らしい動物たちが登場する影絵でおなじみ。誰もが『暮しの手帖』の連載やカレンダーなどで目にしたことのある国民的アーチストである。画業80年を超える今も、毎年のように展覧会を行い、東日本大震災には自ら被災地にも足を運んで作品を発表するなど、創作の第一線での活動が続いている。放射線の線量計が鳴り続けるなか、防護服に身を固めながらデッサンを続 -
影絵作家・藤城清治さん「作品は美智子さまの部屋に飾られて」
2018/11/22 16:0010月中旬の穏やかな午後。東京・目黒の閑静な住宅街にあるスタジオ。ここの主である影絵作家の藤城清治さん(94)は、2階のアトリエで制作の真っ最中だった。藤城さんといえば、瞳の大きな“こびと”や愛らしい動物たちが登場する影絵でおなじみ。誰もが『暮しの手帖』の連載やカレンダーなどで目にしたことのある国民的アーチストである。画業80年を超える今も、毎年のように展覧会を行い、東日本大震災には自ら被災地にも -
24歳でがん経験した日本テレビ記者「がん患者を癒す場を!」
2018/11/19 11:00「最終的に温存手術を選ばず全摘の決断をしたのは、理屈ではなく体の中でがんがものすごい速さで育っていくのを感じたからです」エネルギッシュに報道の現場を飛び回っていたある日、右胸にしこりを見つけた。社会人2年目の春だった。絶望に打ちひしがれながらも、家族や医師、同僚に支えられて、日本テレビ報道局社会部記者の鈴木美穂さん(35)は、徐々に前を向けるように。闘病を経験している記者として、がんとともにありな -
ステージ3乳がん…日本テレビ記者が闘病10年で変えた未来
2018/11/19 06:00エネルギッシュに報道の現場を飛び回っていたある日、右胸にしこりを見つけた。社会人2年目の春だった。絶望に打ちひしがれながらも、家族や医師、同僚に支えられて、日本テレビ報道局社会部記者の鈴木美穂さん(35)は、徐々に前を向けるように。闘病を経験している記者として、がんとともにありながらも、希望の持てる生き方を伝えたいと模索してきた――。「いちばん最初は3月でした。シャワーを浴びていて、ふと右胸のしこ