猪瀬直樹の最新ニュース
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「国会議員が言っちゃダメでしょ」猪瀬直樹 体操女子・宮田の喫煙疑惑に「たかがタバコ」と擁護も波紋
2024/07/19 16:307月18日、パリ五輪の体操女子日本代表主将である宮田笙子(19)が、代表行動規範に違反した疑いでチームを離脱すると報じられた。その違反内容は喫煙疑惑で、宮田は前日にモナコで行われた合宿に参加していなかったという。パリ五輪開催を目前に控えるなか、チームを離脱するという異例の事態。さらに宮田は、喫煙疑惑によって代表はく奪もささやかれていた。そんななか、宮田への処遇に対して異論を唱えた人物が――。それは -
「観劇態度は最悪」元都知事のマナー違反をラサール石井も証言…犯人探しは“存命中の2人”に集中
2023/11/02 19:2011月19日まで東京・新国立劇場で舞台『尺には尺を』が上演中だが、Xで“元都知事のマナー違反”を目撃したという投稿が波紋を呼んでいる。発端は10月31日に、演劇評論家の犬丸治氏が次のように投稿したこと。《土曜夜新国立「尺には尺を」を観た人から、堪りかねて通報。客席の元都知事が、傍若無人、足は投げ出す、お菓子の紙はチリチリポリポリが止まず、老婦人が制してやっとやめたとのこと。「おもてなし」とかチャン -
猪瀬直樹議員 国会中の“ガム嚙み”に賛否「常識がない」「寝てる人よりマシ」
2023/04/15 06:00日本維新の会の猪瀬直樹議員(76)が国会中にガムを噛んでいたとして、厳重注意を受けていたと4月14日に報じられた。ネットで物議を醸している。各メディアによると、同党の東徹参院国対委員長(56)は同日の参院議院運営委員会理事会で、猪瀬議員が参院憲法審査会中にガムをかんでいたとして厳重注意したと報告。猪瀬議員の事務所は「飲食禁止とは知っていたが、ガムまで禁止とは知らなかった」といい、「今後は気を付ける -
「マスクは不自然で変」猪瀬直樹 老夫婦のマスクに疑問呈するも「許可取った?」「花粉症対策では」批判続出
2023/02/20 15:53《陽だまりの老夫婦。なぜマスクをしているのだろう?》2月18日、猪瀬直樹議員(76)が自身のツイッターにこう綴った。マスクをしてベンチに座る老夫婦の写真を添付して投稿した猪瀬議員。《不思議の国・日本》《を通ったらご挨拶してくれたので会釈を返したが、誰なのかわからない。やはりマスクは不自然で変ですよね》と、老夫婦がマスクを着用していることに疑問を呈した。さらに、《感染症の専門医がいまだに恐怖を煽り続 -
猪瀬直樹氏 女性候補へのセクハラ批判を反省も…指摘した人を次々“ブロック”の呆れた矛盾
2022/06/17 18:017月10日に行われる参議院選で、日本維新の会から出馬する予定の元東京都知事・猪瀬直樹氏(75)。都内で行われた街頭演説で同党の女性候補者・えびさわ由紀氏(48)の体をべたべたと触る様子が拡散し、現在波紋を呼んでいる。問題視されているのは、日本維新の会のYouTubeチャンネルにアップされた「2022年6月12日(日)吉村洋文副代表 街頭演説会 吉祥寺駅北口」という動画の一場面。そこでえびさわ氏の名 -
猪瀬直樹元知事 新恋人にはプロポーズも…愛の対談が実現
2016/11/20 17:00元東京都知事で作家の猪瀬直樹さん(69)と、画家で女優の蜷川有紀さん(56)の“週末婚”交際が先日、週刊誌のサイトで伝えられた。そこで本誌では、公の場では初めてとなる2人おそろいでの取材を敢行。この“大人の恋”は、どう紡がれ、どこへ向かおうとしているのか?蜷川有紀さん(以下・有紀)「出会ったのは、昨年の11月、ダンテの『神曲』の大きな絵(3×6メートル)を描くプロジェクトを考え、これをどう展開して -
猪瀬直樹氏語る都知事の公費「僕は出張先のお茶代150円も自腹…」
2016/05/15 06:00「ほぼ毎週金曜日、定期的に別荘に行く大臣や知事なんていませんよ、前代未聞です。通常であれば金曜日は忙しいはずなんですけどね(笑)。僕が知事のときは、夜遅くまで都庁で仕事をすることが多かった。しかも14時半に都庁を出て湯河原(神奈川県)に行くというのは、やる仕事がなくて暇なのかと思ってしまう」舛添要一東京都知事が、公用車を使用し、毎週湯河原の別荘に通っていることが、『週刊文春』(5月5日・12日号) -
謹慎生活から10カ月…猪瀬直樹氏語る「懺悔の日々」
2014/11/09 07:00「知事を辞めたのが、昨年の12月24日。5千万円の問題は、僕自身の至らなさを痛感した事件でしたから、その日から反省を繰り返す“謹慎生活”を送っていました。辞職直後は、自宅前に記者が大勢いましたので、ほとんど外には出ず、食事は仕出し屋の弁当などを食べて過ごす、そんな毎日が数カ月続きました」そう話すのは、’13年9月、’20年の東京五輪・パラリンピック開催決定の立役者として、一躍時の人となった、前東京