(写真・神奈川新聞社)
知的障害者のグループホーム建設に反対する看板が、4年にわたり掲げられた横浜市瀬谷区の運上野地区。建設断念から約10カ月が過ぎた今も、地元は一部住民から噴出した差別への向き合い方を模索している。「ここは誰もが安心して暮らせない地域なのか」。自問を続けながらも、6日に開いた集いでは、中学生の言葉に希望を見いだすことができた。偏った価値観に抗する力は、確かに息づいていた-。直面した問題が、社会を変える一歩になろうとしている。
「本当に心が痛く、難しい問題ばかりだった」
阿久和北部連合自治会事務局長の清水靖枝さん(73)は、反対住民の説得を続けてきた日々を振り返る。
昨年3月には、自治会役員と反対住民、市などが同席した研修会を開催。知的障害がある子の親が「私が死んでからも、子どもが地域で安心して暮らせるため必要な施設なんです」と訴えても、反対住民側は「通学路の安全が脅かされる」「近隣施設とトラブルが起きる」と主張し、溝は深まるばかりだった。
グループホーム建設への抗議は、「絶対反対」と書かれた幅約2メートルの看板が複数枚、生活道路に並んだ。反対署名は地元の自治会長名で呼び掛けられ、地権者に「近くの別の土地で」と代替案を持ちかけても「ここで建設できなければ障害者を否定することになる」とされ、答えを見いだすことはできなかった。
今も地域に残る悔しさや葛藤。「ホーム建設を当たり前に受け入れていける土壌を常につくっておくにはどうしたらいいか」。建設計画があった地区に隣接する原中前自治会長の真下弘さん(50)も、自らに問い掛けている。
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〈自分のことばかりになってしまい、障害者に対して『迷惑』というような考え方をするのは、絶対にダメだと思いました〉
6日、市立原中学校で開いた「見守り合いのつどい」で、同中2年の生徒(14)は、本年度の同区中学生作文コンテストの入賞作品を朗読。車いすの利用者がいたバス待ちの列で「急いでいるのに迷惑だ」と声を上げた大人を目の当たりにした経験から、「大人になっても、差別はいけないという気持ちをずっと忘れずにいたい」と話した。
地域に差し込んだ一筋の光。4月には障害者差別解消法が施行されたが、清水さんが実感するのは「どんな法制度があっても、結局は個人がどう考え行動するかが全て」ということ。だからこそ、力を込める。
「この子たちが大人になった時、同じ問題に直面しても、きっと反対運動に立ち向かってくれるはず。そうした温かい思いを、まちの中で育て続けたい」