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(写真・神奈川新聞社)

 

【時代の正体取材班=田崎 基】憲法を守らぬ為政者が改憲に前のめりになる姿に直面し、衆院議員の山尾志桜里氏(43)は法律家としての矜持(きょうじ)を持って阻止に動く考えだ。「立憲主義という国家の基礎が破壊されようとしている」。この危機的状況にどう向き合うか。改憲・護憲の従来型二項対立から脱却し、より立憲的な憲法を目指し、野党こそが先手を打つべきだと訴える。

 

安倍晋三首相による憲法改正提案とは「改憲」自体が自己目的化し、変えやすいところのつまみ食いを繰り返して出てきたものにすぎない。そんな改憲提案には付き合いたくもないが、これをきっちりはねのけるためには、立憲主義への深い理解に基づいた憲法改正の方向性を示す必要がある。

 

これまでの改憲論議は、「一文字でも変えたい改憲派」と、「一文字も変えさせない護憲派」による二項対立の構図にからめとられてきた。

 

だがもうこうした不毛な構図からはいい加減脱却すべきだ。私は現代において「現憲法は、権力を縛るという憲法たる役割を十分に果たせているのか」と社会に問いたい。

 

安倍政権はこれまで積み上げてきた憲法解釈を破壊し、憲法が果たしてきた「権力を縛る」という立憲主義の「留め金」を外した。その最たるものが2015年に強行採決した安全保障関連法制だ。

 

これには布石があった。安倍首相は内閣法制局の人事に手を突っ込んだのだ。首相と離れた立場から法案の合憲性を判断する役割を内閣法制局は果たしてきた。法制局長官人事に首相は手を入れないという不文律によって実質的な独立性が担保され、この独立性によって法案審査の中立性は保たれてきた。

 

ところが第2次安倍政権はこの人事を掌握することで、法案の事前合憲性審査の仕組みを根底から破壊したのだ。そして許されざる解釈改憲を駆使し「違憲」の安保法制を数の力で成立させた。

 

ではこの「留め金」をかけ直すためにはどうすればいいか。内閣では機能し得ないことを安倍政権が証明した。そうであるなら司法、つまり「憲法裁判所」を設置してはどうか。それには改憲を議論する必要がある。これは「留め金」をかけ直すことの一例だ。

 

9月に安倍首相が仕掛けた「大義なき解散」も同じ構図にある。これまでの政権は、なんだかんだ言っても一定の建前、つまり「大義」を見繕ってきた。だが今回安倍首相が掲げた理由は「大義」とは到底考えられない代物だった。

 

子育て支援の財源配分が争点だと言ったそばから消費増税のさらなる延期に言及してみたり、北朝鮮への対応が国難だと言いながら、その重要な期間に1カ月もの空白を作り出したりした。「大義」などもはやいらない、という傲慢(ごうまん)をも恥じない権力の暴走をみた。

 

ここまで憲法を踏みにじる政権が現れた以上「解散権の制限」も改憲事項として検討していいはずだ。つまり立憲主義的発想から導かれる「7条解散の制限」だ。

 

■危うい自衛隊明記

 

そしてやはり本丸は「9条」だろう。安倍首相の提案は「『自衛隊』を明記するだけ」というものだが、「明記するだけだからこそ危険」と断言しておきたい。むき出しの「自衛隊」が正当化される。この「正当化」はコントロールと表裏一体でなければならない。

 

仮に自衛隊を書き込むのであれば、きちっと歯止めとなる条文が必要となる。例えば国会によるコントロール。政治家による自衛隊の統制をどう規定するのか。また、内閣との関係も問題になる。そもそも憲法は軍事的実力組織を持たないことを前提としている。

 

だから憲法上の内閣の権能には「外交関係の処理」という記述はあっても自衛権を指揮する条文はない。読み取れるとすれば「一般行政事務」に該当するのかもしれないが、命を懸けてこの国を守る実力組織の運用が「一般行政事務」という記述で足りるとは到底考えられないだろう。

 

司法との関係も問題だ。自民党はこれまで「軍法会議」(軍事裁判所)が必要だと言ってきた。私は必ずしも裁判官と異なる主体によって裁くべきだと考えてはいないが、実際に現状の司法でどう規律していくのかは問題になる。

 

もう一つは「財政」。自衛隊を明記するのであれば、防衛費について一定の上限を憲法に明記する必要があるかもしれない。

 

だが、こうしたまともな憲法論議は安倍首相が言及した「2020年の施行」などと期限を区切っては進められない。ともすれば肥大化する軍事的実力組織を、どう国民の意思の下でコントロールしていくのか、という極めて重大な論点だ。

 

政府・与党は「自衛隊を明記するだけ」などと言っていないで、安保法制を前提とした憲法改正案を堂々と提案するのが筋だ。

 

■立憲主義の本質は

 

こうしてあるべき改憲論議について俯瞰(ふかん)してみると、改めて「憲法」とは一体何なのかということをもう一度見詰め直す必要がある。つまり私たちの国家が採用している「立憲主義」の本質とは何なのか。

 

国家権力を抑制し、立法、行政、司法の三権を均衡させ、国民の人権を保障していくというのが憲法の要諦だ。70年という年月を経てグレーゾーンが肥大化し憲法が本来発揮すべき権力抑制の役割が薄められていないか。権力均衡の面からみても、安倍首相の下で強大化していく「内閣」をいかに縛っていくのか。

 

「個人の尊厳」もそうだ。「個人」が尊重されない社会の風潮、物言えぬ空気が社会を満たし始めていないか。

 

「共謀罪法」が施行された社会において、個人の尊厳の核心である思想良心の自由やプライバシー、表現の自由、集会の自由といった基本的人権の価値が十分に保障されているか確認し直す必要がある。

 

国民と国家が共有してきた憲法に関する解釈、不文律、慣習を破壊する安倍政権が登場した今だからこそ、強大化する内閣に歯止めをかける権力均衡や人権保障というリベラルな価値を守るための憲法改正が必要になっている。

 

こうしたまっとうな議論は野党こそがリードすべきであり、そのためには与党に先行して野党が土俵を作ることが必須条件となる。

 

■良識を味方に付け

 

直近では野党主導で政策を前に進めることができたのが待機児童問題と、天皇の生前退位問題だった。

 

私が待機児童問題を国会で取り上げた際に安倍首相は不意打ちを食らったかのようだったが、世論の反響もあって政策の流れが変わった。天皇の生前退位については政府側の有識者会議が報告書をまとめる前に、民進党が論点整理を仕上げたことで議論を主導することができた。

 

数の力で負けている状況下では、その力を超える良識をいかに早い段階で味方に付けることができるかが極めて重要になる。

 

憲法論議はこれまで常に安倍政権が先行してきた。それは一方で、自己目的化した改憲というみっともなさの露呈でもあった。だが選挙を経て自民党、公明党だけで3分の2の議席を占める現状では、もはや改憲発議は避けられないと考えた方がいい。

 

安倍政権の憲法に対する姿勢は極めて軽佻浮薄(けいちょうふはく)であり、到底まともな議論などできはしないが、そう言っているだけでは押し切られる可能性が極めて高い。

 

では軽佻浮薄ではない正統な憲法論議、立憲的改憲のありようとは何なのか。与党に先行し、論点を網羅する形で示すことが重要になってくる。

 

勝負は年内だと思っている。

 

【やまお・しおり】
1974年東京都生まれ。衆院議員、元民進党政調会長。99年東大法学部卒、2004年東京地検検事、07年検察官退官、09年衆院選で愛知7区から出馬し初当選。12年落選、14年衆院選で2期目の当選。民進党所属の法務委員、憲法審査会委員など歴任。

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