73年前の体験を語る元ひめゆり学徒の本村つるさん=24日、那覇市安里のひめゆり同窓会館
73年前の3月25日、沖縄師範学校女子部(当時)の本村つるさん(92)=西原町=は卒業式を迎える予定だった。しかし、直前の学徒動員で卒業式は中止となり、動員先で形ばかりの卒業式が行われた。「卒業した、という意識はなかった。戦争の中でたくさんの友達を亡くした…」。元ひめゆり学徒の本村さんが24日、那覇市のひめゆり同窓会館で自身の体験を語った。
1945年3月23日、米軍の艦砲射撃が始まった。その夜、師範学校女子部と県立第一高等女学校の学徒らは、南風原の沖縄陸軍病院に行くよう命じられた。本村さんは「行くのは当たり前。『お国のために頑張るんだ』という気持ちだった」と振り返った。25日に予定されていた両校の卒業式は、中止となった。
29日、陸軍病院でおにぎりを握っていた本村さんに、「卒業式をする」との知らせが入った。10〜20分だったという式では、艦砲射撃の砲弾が落ちるたびに地面が揺れた。卒業証書はなかった。何度も練習した「別れの歌」や校歌は歌えなかった。代わりに歌ったのは、軍歌の「海ゆかば」だった。
沖縄戦で両校の学徒222人が動員され、計123人が犠牲となった。そのうち「41人は、どこで亡くなったのか分からない」。本村さんはそう言った後、数秒間沈黙し、「どこでどう亡くなったのか、家族は今でも知りたいでしょう。でも分からない」と言葉をつないだ。
本村さんの講話は、平和学習ウオーク「安里から首里への道」の一環。県平和祈念資料館友の会の主催で、約40人が参加した。ひめゆり同窓生も約20人が出席し、校歌を歌った。
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