「私が病室を見舞ったのは、9月末のこと。病室の森光子さんの目は開いていましたが、焦点はうつろ。どこか遠くを見ているような印象で、言葉もほとんど交わしませんでした」
そう語るのは、森光子さん(享年92)と親しかった舞台関係者だ。11月10日、肺炎による心不全のため亡くなった森さん。入院していたのは、都内にある大学病院の特別個室。ホテルのスイートルームのような応接セットもある、10畳以上の広い部屋だった。
「森さんが部屋を歩いている様子はなく、トイレに行くときは手を引かれていました。遠くに行くときだと車椅子で移動していました。アルツハイマーではありませんでしたが、筋肉が衰えていく病気だそうで、手も口もあまり動かなくなっていて。『もうサインもできる状態ではない』とまわりの方が悲しそうにおっしゃっていました」(前出・舞台関係者)
だが体調には波もあったのか、“姉妹”と呼ばれるほど親しかった演出家の石井ふく子さん(86)が訪れたときは様子が違ったようだ。森さんは気力を振り絞り、元気な姿を見せていたという。石井さんはこう振り返る。
「10月に私がお見舞いに行ったときは、『少し弱ったかな?』くらいの印象でした。耳元で話してあげないと聞き取り辛そうでしたが、森さんは、『今でも台詞の練習をしているのよ。筋トレも忘れていないわ』とおっしゃっていて……。ただ、マネージャーは『体重も落ちたし、あまり食欲もない。もう少し病院生活が続くかな……』と言っていました」
10日に体調が急変し、マネージャーと付き人の2人が見守るなか眠るように旅立ったという。病室には『放浪記』などの台本が持ち込まれていた。
「病室でも、たまに『放浪記』のセリフなんかを急に話し出して、周りをビックリさせることもあったようです。本人はもう一度舞台に立ちたい、たった1日でもいいからもう1回『放浪記』をやりたいと言っていたそうです」(前出・舞台関係者)
実は今年、森さんは一度危篤状態に陥ったことがあったという。その後、森さんはこんな言葉を遺していた。前出の舞台関係者はこう語る。
「森さんの遺言は『みなさん、一生懸命される仕事を生きてね』というものだったと聞いています。とにかく仕事に生きてきた森さんらしいお言葉だと思います」