「早いもので今年で芸能生活50年です。そのお祝いとして9月6日から大阪・なんばグランド花月で吉本版『コメディ 水戸黄門』をやらせていただくことになりました。今まで名のある俳優さんたちが舞台、テレビで演じてこられた水戸黄門をやらせていただくことは、芸人冥利に尽きますし、何をいただくよりもうれしいプレゼントです」
そう語るのは西川きよしさん(67)。きよしさんは’46年7月生まれで、高知県高知市出身。幼少のころ父親が事業に失敗して、大阪府大阪市に転居。地元の中学を卒業後、自動車修理工を経て、17歳で吉本新喜劇に入団した。
「50年の芸能生活を振り返ってみると、横山やすしさん(’96年1月死去・享年51)との出会いは、芸人というより、僕の人生にとって大ターニングポイントでした」
2人の出会いは、きよしさんが吉本新喜劇で『通行人A』をやりながら芝居の勉強をしていたころ。ある人を通じて、「やすしさんがきよしさんと漫才をやりたがっている」と耳にするが、きよしさんは最初、その話を断る。
「漫才というのは言葉のキャッチボールで、相手が投げてきた言葉を一瞬のうちに投げ返して、また投げ返す。その繰り返しですから。僕にはそんなマジシャンみたいなことはとてもできないし、しかもやすしさんの漫才は人一倍速い。そのうえ、やすしさんは4回もコンビ別れしている。正直“自分は5人目の犠牲者になりたくない”という気持ちもありました(笑)」
しかし、何度も誘うやすしさんに折れ、きよしさんは一度だけ会ってみることにした。すると、やすしさんは「ワシは4回もコンビ別れして人生の崖っぷちや。コンビ組んでもらわな困る」と、威圧的に言い放ったそうだ。改めて“自分にはできないお断りしよう”と心に決めたきよしさんは、とりあえずその日は返事を持ち帰り、付き合い始めていたヘレンさんにそのことを話してみた。
「やすしさんの話をすると、家内は即座に『やってみたら』と。僕が口ごもっていると『あかんかったら、私も仕事を辞めます。そして、2人で誰も知らない、遠いところへ行きましょう』『遠いところってどこへ?』『北海道』『北海道で何するの?』『アパートの2階のいちばん奥の部屋で、サンマでも焼いて静かに暮らしましょう』と言うんです。今思うと、“サンマ”ではなく“ニシン”が正解やと思いますけど(笑)」
その言葉に、腹をくくったきよしさんは“やすしさんと漫才をやろう。そして、何があろうと彼女を絶対に幸せにしよう!”と心に誓ったという。
「だから、家内の存在なくしては、今の僕はありえなかった。僕にとってやすしさんは大恩人ですけど、彼女は、やすしさんに勝るとも劣らない大恩人なんです」