隔週連載〈中山秀征の語り合いたい人〉、今回のゲストは、デビュー35周年を迎えた近藤真彦(51)。たのきん時代から憧れていたという中山と初めて、じっくり語り合った。

中山秀征「自動車レースをやられていることも、マッチさんを語るうえでは欠かせないです」

近藤真彦「25歳くらいでレースを本気で始めて。レーサーとしては遅いスタートだったので、10年くらいは芸能活動を休業させてもらって没頭しました。レーシング会場って山の中にあることが多くて、芸能人の近藤真彦だとジャニーズ事務所が立派なホテルを用意してくれるけど、レーサー近藤真彦はワンルーム。それだけ立場が違いました」

中山「あえてそこに飛び込んだんですよね」

近藤「はじめのころは成績もおぼつかなくて、ダメだ、どうしようと思っていて。だからといって、芸能界でもう1曲歌いたいと言ったとしても『お前の席はないよ』というくらいの年月がたっているわけですよ。そんな中で、20代後半だったかな、テレビをつけたら後輩たちが歌ったり踊ったりしていて。すごくいい仕事をしているから、その姿を見られなかったもんね。だからテレビをパッと消して。ここにオレがいるはずなのに、オレはある意味こっちに逃げてきてしまったな、とか思いながら」

中山「ご自分のなかで戦っている」

近藤「だから本当にただ消すだけ。こんなことやってる場合じゃない、明日は決勝なんだ!と言い聞かせて寝る」

中山「そこまでレースに没頭されたんですね」

近藤「没頭せざるを得なかった。芸能のほうもいつまで続けていけるのかなという意識もすごくあったんで。もうそろそろジャニーズ事務所もオレのことを必要としなくなる時期がくるんじゃないか、周りから見ても近藤真彦にちょっとかげりが見えるというときだったから。なんとなくレースに逃げちゃったんじゃないかって思う」

中山「逃げた場所がすさまじいところですよ」

近藤「かっこいい場所だから。車好きだったというエクスキューズがありながらレースに行ったっていうのが、ちょっとずるかったのかなって思いますよ。それで環境が整って、毎日会社に行かなくても済むようになったのが10年前。ジャニーズ事務所に『25周年だけど、助けてくれない?』って言ったら『よく戻ってきた』と。『レーシングチームをやったおかげで大人になって戻ってきた』と言ってくれて(笑)。25周年の武道館から35周年、この10年はあっという間でした」

中山「節目には必ず本来の近藤真彦を見せてくれるわけですよね」

近藤「僕のファンの人はきっと、35周年を一生懸命やってるから来年またいなくなるだろうな、と思っているんじゃないかな(笑)」

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