“伝説の大女優”原節子さん(享年95)が、9月5日に肺炎で亡くなっていたことが明らかになった。42歳の若さで突然、映画界を引退した原さん。その生涯には、最後まで“謎”という言葉がついてまわった。
引退後の原さんと親しく付き合った数少ない1人が女優の司葉子(81)だ。60年に小津安二郎監督の『秋日和』で共演。以来、ときには2時間以上の長電話も楽しむ“親友”だった。最後に電話で話したのは、原さんが入院する直前。今年の夏前だったという。
「1日の大半は読書三昧だったそうです。よく『気付いたら一日、本を読んで終わっていたわ』とおっしゃってました。新聞も大好きで、高倉健さんが亡くなったことや、ここ数年騒がれている中東や欧州のテロ事件も、よくご存じでした。『1日も早く平和な世の中になるといいわね』って話されてて……。昔いっしょに仕事をされた方の訃報をお伝えすると、途端に声が曇ってね。『ああ、あの方も先にお亡くなりになったの……』って沈黙されることがありました」
42歳での早すぎる引退の理由は、これまで数多く囁かれてきた。だが“親友”の司は原さん自身の言葉を聞いていた。
「節子さんは15歳から映画に出続けてらっしゃってね。私とは一回り以上年が離れていますから、私も最初のころの作品は知りません。でも映画で1本主役を張るとね、どれだけのエネルギーと努力が必要だったか。お辞めになるまでの年数で、その後の人生の分もエネルギーを使われてしまったんじゃないかしら。ですから、ご本人からすれば、もう十分。燃焼したってことだと思います。ご本人とそういうお話をしたこともありますよ。そうするとまだまだ、“あそこはこうすれば良かった、あの場面は失敗だった”なんてね、反省の弁をたくさんおっしゃることもあったんです」
電撃引退後も、原さんはずっと“女優の魂”を持ち続けていたのだ。引退に悔いはない、でも――。伝説化した自分の姿に殉じるかのように、自らの死を周囲に知らせず、天国へと旅立った原さん。
「いまごろ小津先生、笠智衆さんや森繁(久彌)さん、黒澤(明)監督が“よく来たな”と大歓迎してますよ(笑)。“少し来るのが遅かったな”なんて大好きなビールで乾杯して」
大女優は、ひとりの人間としても美しい人生を全うして、旅立っていった――。