ドラマが後半戦に入って視聴率が25%超を記録した連続テレビ小説『あさが来た』(NHK)。毎朝、日本中に元気を届けてくれるヒロイン・あさ(波瑠)のモデルとなったのは、大同生命保険の創業や日本女子大学開校に尽力した明治時代の女性実業家・広岡浅子だ。作家の玉岡かおるさんが、浅子の“家族”と、昭和の皇室との深い関わりについて語ってくれた。
「太平洋戦争で日本が降伏したとき、米国では昭和天皇を戦犯として裁くべきだという声が大きかったことはご存じだと思いますが、それを主張していた1人、マッカーサー元帥に『日本人にとって天皇陛下の存在は不可欠』と強く提言した“元米国人”がいました。その名はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。彼は、浅子のことを“日本の母”と慕っていたのです」
1880年、米国カンザス州に生まれたヴォーリズは、建築家を目指して大学に進学。YMCA(キリスト教青年会)の活動に熱心に取り組み、24歳のときに信徒伝道師として来日した。
「近江八幡にある滋賀県立商業高校に英語教師として着任。課外に行った英語の聖書を教材としたバイブルクラスが生徒から好評でした。ところが近江八幡は浄土真宗の信者が多かったため、保護者からの反発もあり、2年契約の満了時には更新されませんでした。事実上の解雇です」(「ヴォーリズ記念館」館長の藪秀美さん)
だがヴォーリズは、伝道活動は神から与えられた使命だと、近江八幡にとどまった。
「生活費が保護されている宣教師と違って、信徒伝道師は就業して活動資金を得なくてはなりません。京都三条YMCAの一室を間借りして建築事務所を開き、さらにメンソレータム(現・近江兄弟社メンターム)の日本での販売権を得ました。熱心なクリスチャンであった浅子は、信仰を通じてヴォーリズとの交流を深めたようですが、建築家としても高く評価していました。神戸や麻布の広岡家の別邸もヴォーリズの建築です」(同前)
ついには大同生命保険本社ビルの設計を任されるほどの信頼を得た。そして1918年、運命の出会いが−−。前出の玉岡さんが言う。
「そこでヴォーリズは、浅子の娘・亀子の夫で広岡恵三の妹・満喜子と出会うのです。元大名で華族の一柳家の令嬢ですが、母親がクリスチャンだった影響からか、閉鎖的な武家の伝統が残る実家の暮らしは肌に合わず、人の出入りが激しく開放的な広岡家のほうが、居心地がよかったのでしょう。満喜子は“浅子ママ”と甘え、広岡家に住まわせてもらっていました」
恋に落ち、愛し合い、結婚を誓い合ったまではよかったが、当時の華族の“常識”はそれを許さなかった。一柳家も兄の恵三も猛反対……。
「2人の結婚を唯一応援したのが、身分や国の違いという古いしきたりに縛られない浅子でした。“母親の愛”で満喜子を包み『華族が国際結婚できないのならば、平民になればいい』と助言し、2人を後押ししたのです。浅子は’19年1月に亡くなりますが、その“遺言”が守られる形で、同年6月に結婚することができました」
日米関係が悪化し開戦の足音が近づいてきた’41年1月、ヴォーリズは帰化する。米国から来て日本にとどまる意の「一柳米来留(めれる)」と改名した。
「多くの宣教師は開戦を機に母国に帰りましたが、ヴォーリズには妻と米国から呼び寄せた両親、生活の拠点がありました。もし浅子と出会っていなければ、彼はこのときに米国に帰っていたでしょう」
志學館大学教授で歴史学者の原口泉さんが語る。
「女性にも高い教育を受けさせたいと奔走するなど、広岡浅子の社会奉仕の考え方はとても先進的でした。そんな浅子の“包容力”こそが、ヴォーリズに、異国にとどまる勇気を与えたのかもしれません。そして、敗戦という過酷な状況の中でも、冷静沈着に日本人と日本の歴史を凝視して、“日本を救ったアメリカ人”となった。この国で出会ったすべての人々への“恩返し”だったのだと思います」