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「よくドラマで夫が手を握って『よく頑張ったね』とか奥さんに言うシーンがあるじゃない。私もそれを期待していたんだけど、パタパタとスリッパの音が聞こえたと思ったら蜷川の第一声は『ひどい顔だな、帰るときには顔にガーゼをかぶせるか』です」

 

演出家の故・蜷川幸雄さん(享年80)の妻であり、写真家・蜷川実花さん(43)の母、蜷川宏子さん(75)は、“あの日のまま”という幸雄さんの書斎で、そう語った。“世界のNINAGAWA”の急逝から100日。初めて明かす子育て秘話−−。

 

宏子さんにはもう一つの名前がある。’66年に蜷川幸雄さんと結婚したときは「真山知子」という芸名で女優をしていた。当時の幸雄さんは、同じ『劇団青俳』の俳優で収入は妻の半分。一家の大黒柱は宏子さんだった。

 

宏子さんは’72年10月18日、長女・実花さんを出産。出産からわずか3カ月で、仕事に復帰する。幸雄さんが主夫を買って出た。『スポック博士の育児書』という本を熟読し、ミルクのグラム数も睡眠時間も本にあるとおり、完璧に実行。わずか3歳の娘にダンテを教え、次の10カ条をたたき込んだ。

 

(1)いつでもどこでも男を捨てられる女であれ。(2)経済的にも精神的にも自立せよ。(3)できるだけたくさんの男と付き合え。(4)何をしてもいいけど妊娠だけはするな。(5)従順なだけの女にはなるな。(6)男にだまされるな、だませ。(7)何よりカッコイイ女になれ。(8)自分が正しいと思ったら、何でも突き進め。(9)過激に生きろ。(10)妬むより妬まれろ−−。

 

「実花は、よくパパの書斎で、地獄絵や死体写真、解剖図なんかを腹ばいになって見ていました。父親に育てられたことが、価値観や美意識に大きく影響したと思います」

 

そのころ、幸雄さんに東宝から市川染五郎(現・松本幸四郎)主演『ロミオとジュリエット』の演出の依頼があった。商業演劇に興味はないと断ったが、相手も食い下がる。背中を押したのは宏子さんだった。幸雄さんが灰皿やいすまで投げたというのは、このときの逸話だ。その後『王女メディア』『NINAGAWAマクベス』が当たり、演出家としても軌道に乗り始めた。

 

’78年3月、次女・麻美さんが生まれたときに、宏子さんは家庭に入った。宏子さんは「帳尻は自分で合わせればいい」、幸雄さんは「手を貸さないのが親の愛情」という教育方針だった。父親そっくりの姉に対し、宏子さんが育てた妹の性格は正反対。コツコツ勉強し、今では出版社で働いている。

 

「あと2週間生きていてくれれば、50年の金婚式だったのにね。『指輪買ってあげる』って言っていたから惜しかったな(笑)。お通夜の後、報道陣に会いたくなくて2日間家に帰りませんでした。葬儀も喪主を娘に頼みました。とにかくイヤだったんです。“悲しみにひたる妻”という映像を撮られるのが。実花は最初『ひー』と言っていましたが、来ていただいた方々にしっかりと挨拶をしてくれていました。あの子は父親に“長男として”育てられたようなものですから」

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