11月28日、渋谷・Bunkamuraオーチャードホールで原田知世のデビュー35周年ツアーは千秋楽を迎えた。この日は原田の50歳の誕生日。彼女は観客に向かってこう語りかけた。
「皆さん、これからもいっしょに歩んでください」
だがその胸のなかでかけ巡っていたのは、いっしょに歩むことが叶わなくなった人との思い出だったかもしれない。故郷長崎で暮らしていた実父・聰さんが亡くなったのは、今年の初めのことだったという。享年90――。
原田知世は’67年11月28日に長崎県長崎市で、4人きょうだいの末っ子として誕生した。父・聰さんは建築会社を経営しつつ、“原田左斗志”という号で俳人としても活動。原田は42歳のときに新聞のインタビューに、父についてこう語っている。
《俳句がまさにそうですけど、短く表現された言葉が、受けとめる人によって、ふわーっと膨らんだりしますよね。(いっしょに)旅行に行ったりしたときに言葉の意味や使い方を教えてもらったり。父は今も一番の相談相手です》
事前に渡されたメロディから、言葉を削ったり磨いたりすることにより、歌詞を生み出していく彼女にとって、父は頼りになるアドバイザーでもあったのだ。
本誌は2年前に父・聰さんを電話で取材している。実はこの取材の数年前に聰さんの長男であり、原田より10歳年長の兄が逝去していた。
「(長男が亡くなったのは)とても寂しいですが、娘たちが東京で、それぞれ頑張ってくれているのが、私の励みになっているんです……」
長崎の原田家の知人は言う。
「聰さんが体調を崩したのは、2年ほど前からだったと思います。今春に亡くなる前は、ずっと入院されていました。本人のご意向もあったようで、葬儀も想像していたより小規模なものでした」
バースデーライブの前日の夜、本誌は原田が自宅からほど近いマンションに入る姿を目撃している。
「そこはお姉さんの貴和子さん一家が住んでいるマンションと聞いています」(原田家の別の知人)
姉妹水いらずの誕生会で語り合ったのは、長崎から見守り続けてくれた父の思い出だったに違いない。