「(石原裕次郎さんが)手術後退院して、『太陽にほえろ!』の撮影をしていたときは、夏なのにボスの机の下にヒーターを置いて、傷のあたりを温めてたの。ワイシャツがこすれて痛むからって。それでも、出番がないと僕らが控えてるところに、ヤンチャそうな顔して来るわけ。黙ったままカメラマンとかスタッフに『たばこある?』ってジェスチャーして。すべてが“陽”なんですよね。何をしていても“陰”にはならない」
そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第66回のゲスト・俳優の神田正輝さん(65)。スキーやダイビングなどの趣味を持つアクティブな神田さん。山小屋のおやじになりたかったという青年が、いつしか“石原軍団”の名俳優に。神田さんとは28年来の仲で、石原プロモーションにもゆかりのある中山がお話を聞きました。
中山「最近もバーでお会いしていますよね。ごちそうになってしまって」
神田「僕はまず謝らなきゃいけないことがあるんだよね。むかし、うちの運転手がヒデちゃんの新車のナンバープレートにぶつけてしまって。『ごめん、すぐ直すから請求書を送ってくれ!』って(笑)」
中山「それが初めてお会いしたときで、律儀な方だなという印象でした。僕が20歳のときなので28年前。石原裕次郎さんが亡くなられて、日が浅いころでしたね」
神田「今年、三十回忌だから、亡くなって1年くらいだったのかな」
中山「そこからご縁があって、七回忌にご自宅におじゃまさせていただいたり」
神田「ヒデちゃんは最初からしっかりしてたもんね。こういう世界にずっといらっしゃる方は、あいさつと礼儀はしっかりしている。先輩でも初めて会うときは『〜くん』じゃなくて『〜さん』と呼んだり。仕事の前に、人間としてちゃんとするというか」
中山「僕はまだまだですけど、石原さんはまさにそういう人だったんでしょうね」
神田「そうだね。慣れると本当に家族みたいに接してくれるけど、最初は自分から頭を下げる」
中山「人を引きつけるというか。神田さんが役者になられたのも、石原さんとの出会いがきっかけなんですよね」
神田「赤坂で知人を介して偶然会ったんです。そのあと、『役者をやる気はないのか』と言われて『ありません』と(笑)。うちが赤坂にあったから、母のところに役者仲間がよく来ていて、それを見ていたから、僕は化粧している男が大っ嫌いだったのよ」
中山「お母さまが女優の旭輝子さんですものね。生活の中にふつうに芸能人がいたら、感覚も違いそうです」
神田「あと、僕はスキーをやってたから」
中山「それでも役者の道に進まれた」
神田「石原さんは『やれ』とは言わない人。でも、スキー仲間に背中を押されて『冷やかしでいいなら1本やりますよ』と伝えたわけ。それで現場に行ったはいいけど、台本をもらってもどうしたらいいかわからない」
中山「素人ですもんね」
神田「石原さんに聞いたら、『そんなもん捨てちまえ』って言うから台本を捨てちゃったんですよ。4〜5日して宍戸錠さんとの撮影があって、僕がまったくわかっていないものだから『なんで台本読まないんだ』と」
中山「真に受けて捨てるヤツはいない、と」
神田「しかも『冷やかしで1本』と言ったら1話だけで終わりだと思うでしょ。それが、1話から最終回のことで。僕はスキーで山に行かないといけなかったから、石原さんに言って行かせてもらった」
中山「撮影期間中ですよね」
神田「でも、『頼むから帰ってきてくれ』と電話がかかってきちゃって。そこから7年間休みがなかった(笑)」