「エベレストだけではなく、富士山でも高山病になるんですよ。富士山の山頂は、酸素が3割少なくなるんです。7合目は標高3,000メートルほど。ここを超えるあたりから高山病が出てきます。山登りをする前には、なるべくトレーニングをしたほうがいいですね」
そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第68回のゲスト・プロスキーヤーで登山家の三浦雄一郎さん(83)。現在も講演やトレーニングで忙しい毎日を送られているそうで、札幌から東京にやってきたその足で対談に。まったく疲れを感じない三浦さんに、中山はただただ驚くばかりでした。
中山「三浦さんといえば3年前、80歳でのエベレスト登頂。70歳、75歳と登られて、世界最高齢記録をご自身で塗り替えられました」
三浦「僕が65歳のとき、自由気ままに“メタボ”に年をとって、狭心症、不整脈、糖尿病と、高齢にまつわる危険な病気を持っているものだから、医者から「余命3年」と言われていたんです。この状態で3年生き延びたらいいほうだと。そのころ、93歳だった父が『99歳になったらモンブランをスキーで滑る』と言いだして。親父がモンブランなら、僕はエベレストに登ろう、そう思ったのがきっかけだったんです」
中山「余命3年と宣告された中での決意。そのころは山登りはどうしていましたか?」
三浦「4〜5年サボっていました。冬はスキーを、夏は下手なゴルフをやって、お酒を飲んで、思い切りリタイアした暮らし。講演などの仕事も忙しくて、全国、海外飛び回っていましたので。メタボ体形のまま、久々に500メートルの山を登ったら、途中でのびてしまって、頂上まで行くこともできなかったんですよ」
中山「9,000メートル近いエベレストは遠いですね」
三浦「これはいかんと思い、まずは仕事をしながらメタボを治そうと。そして並行して足腰を鍛えました。僕は2種類の健康法があると思っているんですよ。ひとつは、守りの健康法。たとえば1時間くらい散歩をするとか、ラジオ体操、バランスのいい食事、早寝早起きですね。でも、これをやっていても当時の僕では富士山も登れない。“守り”でなく“攻める健康法”でいかないと間に合わないと思ったんです」
中山「攻める、とはどういうことでしょう」
三浦「まずは、足首に1キロずつ重りをつけて、10キロのリュックサックを背負って、体に負荷をかけた生活を始めました。平地を歩く分には大したことないんですけど、階段や坂道だとつらい。そういうときはゆっくり歩くようにして。やがて、代々木の事務所から、東京駅まで9キロ歩いてから出張に出かけるようになりましたよ」
中山「だいぶ追い込んだ生活ですね」
三浦「東京駅に着いたときにはフラフラで、よじ登るように新幹線の座席について、居眠りしながら乗り過ごさないように……。ということで、どこかへ移動するだけでもすごいトレーニングになる。そんな生活をしているうちに、体重がどんどん落ちていき、半年してやっと富士山に登れるようになったんです」
中山「半年で富士山はすごいですよ!」
三浦「5合目までは車ですし、高山病で頭が痛いとか、ひどい目に遭いましたけどね。でも、そのころには、血液検査の数値も、体の調子もよくなっていきましたので、片足1キロずつだったものを2年目は3キロ、3年目から5キロに増やして」
中山「ずいぶん急ピッチにやられました」
三浦「69歳の年には片足に10キロずつつけて、30キロのリュックを背負うように。それで歩けるようになれば、エベレストにも行けるだろうと思いました」
中山「前例のあったトレーニングということではないんですよね?」
三浦「そうそう、何でもやってみようということ。この攻めた生活のおかげで、メタボ体形も治り、狭心症の発作も、ヒザや腰の痛みもなくなったんですよ。ヒザの半月板なんてボロボロで、針を刺したように痛いこともあったんですから」