「僕なんて周りの全員から『オマエは芸能界では大成しない。無理だ』と言われていたからね。今、多くの子どもたちは夢がなさすぎるから、幸運にも夢を持てたなら、諦めないでほしい。親が強制的に将来のレールを敷くのはよくないけれど、子どもが『やりたい』と言ったときにはできる限り応援してあげたいよね」
そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第73回のゲスト・ホンジャマカの石塚英彦さん(54)。渡辺プロダクションが立ち上げた業界初の若手タレント養成機関「ビッグサースデー」の1期生で、中山とは同期。そんな30年来の付き合いとなる2人が語り合ってくれました。
中山「石ちゃんが恵(俊彰)とコンビ組む経緯って、あまり知られていないですよね」
石塚「ホンジャマカって最初はグループ名だったんだよね。人数が増えてしまったビッグサースデーの年上組11人をホンジャマカと呼んでいたの。ホンジャマカはステージの演出にこだわりすぎて、事務所から『おまえたちは金がかかりすぎるから、解散!』と通告されてしまった。メンバーそれぞれがやめたり、他事務所に移籍するなかで、最終的に残ったのが僕と恵なの」
中山「恵は3〜4期、後輩ですね。ホンジャマカがコンビになったのはいつ?」
石塚「『とりあえずやってみよう』と始めたのが、平成元年、’89年だったね。クオリティは別にして、恵と2人だとネタが恐ろしいくらいたくさんできたし、『やってみて、反応が悪かったらこのネタは忘れよう』というフットワークが軽いコンビだったよ」
中山「みんな、新作ネタを作るのに悪戦苦闘していたのに、すごいですね!」
石塚「当時は『来週水曜、“恵スタジオ”集合で!ネタは3つずつね』と決めて、僕は当日ネタとお菓子を持って、恵の家に行く。『じゃあ、僕から発表しまーす。“め”って書いてあるのはお前だから、読んでみて』とネタ合わせをして、2人が納得したネタをテレビで出していたんだよね」
中山「今、相方(恵)は主に赤坂(TBS系『ひるおび』)にいますけど……」
石塚「世間では『実はホンジャマカは仲が悪いのでは?』という噂が出回っているじゃない。でも、事実は違う。それじゃあ、なぜ2人一緒にテレビに出ないのかというと、『2人で呼ばれないから』。オファーがあれば、本当は2人で出たいんだよね」
中山「そうか、今はお互いの個人活動が多いから、2人で呼ばれないんですね」
石塚「そこはわかってほしいんですよね。テレビ局の人も2人セットで呼ばないのに『なんで2人で出ないんですか?』って聞いてくるのよー。’16年は恵と会う機会が多くて、そこでお互いに確認し合ったのが、『いつとは言わないけど、とにかくコントがやりたい』ということ。コントをやるなら、僕の相手は恵だと思っているし、恵も同じように思ってくれていた。コントをやる機会があったら、本当にホンジャマカでやりたいって思っているんだよね」