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「事務所に入ったきっかけは、姉が履歴書を送ったから。いちばん上の姉がマッチ(近藤真彦)さん、下の姉がカッちゃん(植草克秀)さんファンだったので、そのバックで弟が踊っていたらいいな、というノリだったそうです」

 

そうデビューのきっかけを話すのは、光GENJI卒業から22年、現在は舞台を中心に活躍の場を広げている佐藤アツヒロ(43)。’87年8月に光GENJIとしてシングル『STAR LIGHT』でデビュー。その後、爆発的な人気で’88年には『パラダイス銀河』でレコード大賞を受賞。アイドルグループとして絶頂を迎える。そんな当時のエピソードから東日本大震災時のエピソードまでを佐藤が明かしてくれた。

 

「高校時代は、家の前でファンが待っていて、電車に乗るときに何十人になり、乗り換えるとさらに増え、学校に着くころには何百人になっていたということもありましたね。中居(正広)と仲よくなったのは、高校に通いだしてから。中居と(木村)拓哉が都内の高校に転校してきて、中居が合宿所に入ったのかな。当時、合宿所の部屋はガラガラで、開いている部屋に中居と城島(茂)くんが住んでた。たまに(稲垣)吾郎も来ていたかな」

 

佐藤が高校2年生のころ、ボビー・ブラウンが来日し、日本ではブレークダンスが大ブームになった。

 

「拓哉ってブレークダンス、超うまいんです。『超、うまいよ。木村、教えてよ』って言って教えてもらった。当時、俺はバク転できなかったんだけど、拓哉に教えてもらってできるようになったの。最後の最後のリハーサルでもできそうになかったところで、拓哉が教えてくれたことを覚えているんだよね」

 

佐藤は、親友で同年代の中居との合宿所時代のエピソードをバラエティ番組で明かしたことも話題になった。

 

「7〜8年前、中居とは一回、ケンカしたんだよね。城島くん3人で飲んでいたんだけど、真剣に話を聞いてくれなくて。すべて会話にオチを探すっていうか、まあ、司会業に一生懸命なんだろうなって。それがなんだか寂しくて。もう、こいつとは話ができないって。でも、東日本大震災の災害支援の『Marching J』(’11年)で、中居に久々に会ったんですよ」

 

当時、SMAPはほかのジャニーズのメンバーと一緒にいることは珍しかったと佐藤は言う。

 

「『ジャニーズのイベントにSMAPが来た!』と思うと、すごくうれしくて。中居とはすごく久しぶりで、すごくしゃべって、すごく楽しかった。吾郎、(草なぎ)剛、(香取)慎吾とも会えてうれしかった。拓哉とは、会えないのかなと思っていたんだけど、廊下ですれ違ったんです。あいつが覚えているかどうかわからないけど、すれ違いざまに目が合った瞬間、拓哉と俺がハイタッチしたんです。会話はなくても、お互いわかっているんだな。きっと『あっ、久しぶり』とかいうのは木村拓哉らしくないんだろうな、すれ違いギリギリに手をパンッ!って合わせるのが、木村拓哉なんだろうなって……」

 

そう当時を振り返る佐藤は、現在、舞台『さくら色オカンの嫁入り』の公開に向けて準備に余念がない。

 

「光GENJIが解散してから、自分はもう日本から必要とされていない人間だと思ってしまい、精神的に追い込まれました。だから演劇を始めたとき、自分が必要とされたことが、とてもうれしくて。今回のお芝居は、本当に少ない人数で、大きな仕掛けがあるわけでもなく、とにかく会話で進行していく物語。300人のジュニアたちと出演する大舞台とは違います。でも、ジャニーズには派手で華やかな舞台だけじゃなくて、こういう舞台もあるんだよ、ということを知ってもらえるきっかけになればと思っています」

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