《間に合わなくてごめんね》
イタリアで大地震が起き、多数の死傷者が出ました。発生は8月24日未明、これまで300人近くの死亡が確認されています。その犠牲者を追悼する国葬で、亡くなった9歳の女の子に宛てた“ある手紙”が人々の涙を誘っています。
女の子の名は、ジュリア・リナルドさん。地震当時、彼女は祖父母の家で4歳の妹ジョルジャちゃんと寝ていました。家が崩壊してがれきの下敷きになった際、ジュリアさんは妹の上に覆いかぶさるように抱きしめたといいます。
16時間後に発見されたとき、妹のジョルジャちゃんはほぼ無傷で救出されました。しかし姉のジュリアさんは助かりませんでした。そんな彼女の棺に寄せられた手紙がありました。それはアンドレアという、捜索救助活動に当たっていた消防隊員からのものでした。手紙には幼い命を悼み、次のような内容が綴られていました。
《がれきから君を引っ張り出そうとしたけれど、来るのが遅くて君はもう息をしていなかった。助けだそうとしたが、遅すぎたのなら許してほしい。でも私たちが全力を尽くしたことは知っていてほしい。家に帰ったら、天国から天使が見守っているとわかるだろう。君は夜には輝く星になる。僕と君とは知り合うことはなかったけれど、君を愛しています。さようなら、ジュリア》
私はこれを聞いて、数年前の日本で起きたある事故のニュースを思い出しました。覚えている方も多いかと思いますが、豪雪に見舞われた北海道で、父親が9歳の一人娘を抱きかかえたまま亡くなった事故です。激しい吹雪の中、雪に埋まって運転していた軽トラックが動けなくなりました。そこで父親は着ていた薄手のジャンパーを脱いで娘に着せると、覆い被さるようにして約10時間も小さな身体を抱き続けたのです。
翌朝、2人は上半身が雪で埋まった状態で発見されました。発見時、娘は泣いていましたが、父親の意識はすでになかったそうです。窒息を防ぐため、顔の部分には穴が掘られていました。父親は必死に娘を温めながら、顔につもる雪を振り落とし続けたのでしょう。その父親の愛で、娘は奇跡的に凍傷だけですみました。事故の2年ほど前に母親が他界しており、40代半ばの父は一人娘を宝物のように大切にしていました。
出逢いが死を前にして途切れる悲しさは言い尽くせませんが、その死が言葉より多くのことを教えてくれるときがあります。「大切な人のために喜んで死ぬことができる」というのは、最も美しい心のひとつかもしれません。自らの死が誰かのためになることを知れば、死は無力でなくなるからです。そして避けられない死に対し、感謝の念を持つことができるようになります。
ジュリアさん姉妹も北海道の父娘も生死を分かちましたが、その魂は亡くなったもう1人と融合を遂げたのだと思います。生き残った2人は大人になっていく中で姉や父親の愛を感じながら、日々を過ごしていくことになるでしょう。「姉や父親からの最も大切な贈り物、それは自分の命である」ということを実感しながら、素晴らしい人生を生きていくことになると思います。
大切な人との死別は何よりも悲しいことです。そして、その悲しみには深い苦しみが伴います。その唯一の対処法は、それらを真正面から受け止めてあげることではないかと思います。亡くなった2人は生に対する未練こそ残っていたとしても、死に対する恐怖は乗り越えていたはずです。その美しい魂に、神の祝福が降り注ぐことを心から祈ります。