腹ごしらえも済み、日本橋に向かった坂東彌十郎さんは、新たな〝歌舞伎史跡〟とも呼べそうな小さな石碑と、自らの若き日の思い出の場所を見つけます。
日本橋南東側の船着場。彌十郎さんは小さな石碑を発見しました。そこには「十二代目市川團十郎」と「四代目坂田藤十郎」、2人の偉大な歌舞伎俳優の名前が刻まれていました。演劇評論家の犬丸治さんは「團十郎は江戸の荒事、藤十郎は上方の和事、東西それぞれの両巨頭」と言います。「荒事とは超人的なエネルギーで悪者を退治する江戸歌舞伎独特の勇者の役柄。一方、和事とは男女の情愛を扱う演目の主人公。やわらか味のある美男子で、番付の二枚目に書出されるところから『二枚目』の語源にもなりました」(犬丸さん)。日本橋のたもとの河岸はそれぞれ「魚河岸」「裏河岸」「西河岸」と名があるのに、この船着場だけは名前がありませんでした。そこで2011年、歌舞伎界を代表する東西の名優の名をとって「双十郎河岸」と命名されたのでした。
彌十郎さんはさらに日本橋の町をぶらりぶらり……。いまでは大きなビルが建ち並ぶこの町も、歌舞伎とは切っても切り離せない場所です。「『髪結新三』の発端が日本橋の『白子屋店先』。また、日本橋そのものが『東海道中膝栗毛』、弥次さん喜多さんの終点、または起点になるなど日本橋の街並みは、多くの歌舞伎演目に登場します」(犬丸さん)。さらに犬丸さんによれば「有名な舞踊『越後獅子』は『駿河町越後屋』、つまり現在の三越の前が舞台です」といいます。じつはこの三越、彌十郎さんにとっても、とても思い出深い場所なのでした。
次回の彌十散歩(やじゅさんぽ)は、隈取には欠かせない画材屋・ゆうべん堂へと向かいます。
坂東彌十郎(ばんどう・やじゅうろう)
1956年、往年の銀幕の大スター・初代坂東好太郎の三男として生まれる。祖父は十三代目守田勘彌。1973年5月、歌舞伎座 『奴道成寺』 の観念坊で初舞台。八代目坂東三津五郎、三代目市川猿之助のもとで芸を磨く。近年ではコクーン歌舞伎や平成中村座など、十八代目中村勘三郎との共演も多数。平成中村座の海外公演にも参加してきた。また、今年(2016年)5月には、ヨーロッパ(フランス、スイス、スペイン)で歌舞伎の自主公演を敢行。大好評を博した。長男は初代坂東新悟(26)。