1月某日 北イタリア・パドヴァ
1月18日の朝、イタリアへ戻るための荷物の準備も全て終えて安心した心地で目が覚めた瞬間、私は窓から差し込む光に何かいつもとは違うものを感じ、飛び起きて外の様子を確かめました。すると、外は見渡す限り一面雪に覆われているではありませんか。確かに天気予報では随分前から、そのあたりに関東でも雪が積もるかもしれないと再三警告が繰り返されてはいましたが、それにしてもイタリアと比べて日本のこの天気予報的中率にはしみじみ感心するばかりです。
自分が出発する日に関東で降雪という予報をテレビで見た時点で、予め羽田空港までの移動用タクシーも予約してあったので、様々な交通機関が麻痺状態というニュースを尻目に、悠長にお風呂に入ったり部屋の掃除をしたりして、タクシーのお迎え時間を待つことにしました。しかし、待てど暮らせど配車を指定した時間になってもタクシーがやって来ません。
お天気が悪くなると都内ではタクシーに乗るのが困難になるのは知っていましたし、ましてや雪ともなると更なる混乱を来すのはわかっていました。だからそれを考慮して、数日前にすでに予約をしていたわけですが、コールセンターに電話をしても通話が叶いません。他のタクシー会社にも電話をしてみましたがどこもみな通話中で、これはいよいよ為す術もないと思った瞬間、焦り汁がどわっと噴出し始めました。
こうなったら30キロのスーツケースと10キロの手荷物を抱えて、最寄りの駅まで行って電車移動しかない! という覚悟を決め、鼻息荒く玄関へ出て行くと、予定よりも20分遅れですが、そこにすっとタクシーが現れました。まさか、と思って確かめると私を迎えにきてくれた車だとわかって安堵で思い切り脱力。降雪のお陰で車の数もいつもより俄然少なかったお陰で、世田谷から羽田まで20分くらいで到着してしまったのでした。
ちなみに、あの時私がタクシーを諦めて向かおうとしていた駅は構内に入れない人々が外まで100mの行列をなし、しかも列車も間引き運転をしていて、乗るのにも1時間待ちという有様になっていたのだそうです。
北海道で子供時代を過ごした私ですが、雪の容赦のないパワーは本当にやりきれません。雪だるまとかかまくらとか雪祭りの雪像とか、そんなの作ったり見たりして喜んでいる人たちの気持ちが私にはさっぱりわかりませんでした。
昔の事故を思い出して思う。冬は慎重さを要する季節です。
今から溯る事29年程前、日本の巷ではスキーが大ブームでした。原田知世さんの『私をスキーに連れてって』が火付け役となって、世の若者たちは、皆暑っ苦しく燃え盛る青春を雪原で謳歌していました。そんなブームの最中に留学先から一時帰国した私も、雪嫌いだというのについ流行りに流されて、お友達ふたりを連れて北海道のとあるスキー場へ行く事にしたわけです。ヘアーバンドで止めたソバージュの髪に太い眉、白い繋ぎのスキーウェアに身を包み、心躍らせながら母から借りた車で雪山を運転していた私。
しかし、とある山の中のカーブに差し掛かった時に、アイスバーンにうっすら積雪した雪でタイヤがスリップし、我々を乗せた車はカーブ脇のガードレールに思い切り衝突してしまったのでした。ガードレールは運転席の右側にドアを大破して入り込み、それに引っかかったおかげで脇の斜面を車体が転がり落ちることはありませんでしたが、私はそれによって全治2か月の大けがをしてしまいました。他の2人もむち打ちや肋骨を骨折するなどのダメージを被ってしまいましたが、軽症で済んだのが不幸中の幸いだったと言えるでしょう。
ちなみに運転席にいた私は突っ込んで来たガードレールに脇腹を擦った為に脇腹の皮膚が破れて肺が潰れ、おまけに全身打撲で酷い様子になっていました。何故か全く意識を失っておらず、暫く後で救援にやってきた救急車の中でも、不安そうにしている皆の笑いを買おうとバカな発言を連発して、隊員のおじさんに「うるさいよ、あんた!」と酸素マスクをあてられ叱咤される始末。
起こしてしまった事故の重大さを把握できたのは、運ばれた病院で手術が終わって暫くしてからの事でした。それくらい、車の衝突事故というのは一瞬の事であり、あのまま死んでしまっても多分私はそれにすら気がつかなかったかもしれません。後の現場検証で判った事ですが、私が車を大破させたその場所は冬期の事故多発地帯でもあり、多くの方が命を落としたり大けがをされている危険スポットでもありました。
冬は慎重さを要する季節です。かつてはプラスチックのソリで転がり落ちて足を骨折した苦い思い出やスケートで酷い霜焼けになったことも私の冬嫌いの要素になっていますが、スキーやスノボというスポーツも気を付けていなければ簡単に怪我をしてしまいます。でもそれ以上に、雪山へ向かう為の交通手段にもそれなりの気配りが必要だということを痛感せずにはいられませんでした。
日本でも斑尾のスキー場へ向かう大型バスによる痛ましい事故が起きてしまいましたが、このようなスキー場に向かうバスによる大きな事故が実は過去にも何度か起きていたのを、この機に私も初めて知りました。雪によるスリップ事故だったわけではないにせよ、山道の狭いカーブというものも侮れませんし、ましてやその背景に、もしコスト削減や運転手の過労や技術的問題、バスの機能的不具合などが関わっているのだとしたら、遺族の方のやり場の無い憤慨や悲しみは、我々には想像もできないくらい果てしないものに違いありません。
このニュースがきっかけとなって、前述した自分の過去の事故を思い出しながら、冬とは本来、生き物はなるべくじっとしているべき季節なんじゃないかと思ったりもするのでした。
寒い思いをして戻って来たイタリアも朝は零下の気温が当たり前になっており、体を丸めて過ごしているせいか背中の骨がぎしぎし軋んでいます。靴下も3足重ねて履いてますし、日本から持って来た使い捨てカイロを体中に貼付けながら仕事をしつつ、私にも熊みたいな冬眠機能が付いてたらどんなにいいだろう、秋から漫画も何もかも休業してひらすら眠り続け、目が覚めたらお花満開の春だったらどんなに素敵かしら……と、取り留めも無い事を考えながら遣り過ごしております。ほんとに冬眠したい。