5月某日 北イタリア・パドヴァ
日本には100歳越えのご老人が6万人以上いるそうです。100歳以上の老人数は45年間増加し続けていて、人口は減っても長生きの老人率はどんどん上がっているわけです。元気で長生きな高齢者が増えるのは凄いことだなあ、という感心を覚える一方で、将来の日本が老人国家になることを免れない現実を実感させられもします。
しかし、そうした高年齢化への不安を感じつつも、私が子供だった頃に比べると、昨今の日本の人たちはなんだか見た目も中味も若返っている気がします。昔よりも今の人たちの方が加齢に対する反発心が旺盛だからなのか、日本へ行くと女性も男性も皆、見た目だけでは何歳だか判らない人が沢山います。
特に私の周りいるのは自由業の友人や知人ばかりなので、服装や振る舞いなども社会的体裁を意識して調整する人も少なく、還暦がせまっていようと見た目も服装も、そして人としての中味も、まるで20代30代の若者、というような様子の人も少なくありません。30年前なら、例えば漫画やテレビで表現される還暦の人間は、完璧にシワシワのお爺さんお婆さんだったはずなんですけどもね……。
その点においては、ここイタリアでも服装や態度に人々の意識における若年化は見られますが、さすがに日本の域にまでは達していません。人種的な質の差も関係するとは思いますが(何せイタリア人は高齢でも夏にがんがん日焼けを嗜好する傾向があるので皺やシミができるのをそれ程気にしていない)、とにかく高年齢化がこのままどんどん進んでいき、平均年齢が高くなればなるほど、このままでいくと70代であっても現在の30、40代みたいな人が日本にはどんどん現れてくるのではないかという気がしています。
ところで、世界一人々が長生きする国という統計を踏まえ、世界一の長寿の老人というのも当然日本にいるもんだとつい思い込んでいた私ですが、世界における最高齢が、なんとイタリアのお婆さんであることを先日ニュースで知りました。実はイタリアは、日本に次いで第2位の長寿国家でもあるのです。
そういえば南イタリアには2,000人の人口のうち100歳以上がそのうち300人という街があります。このアチャロリという街では長寿人口の多い理由を突止めようと様々な学術的調査が実施され、良い遺伝子と食事の組み合わせが拘っているのではないか、という報告がされていました。遺伝子と言われてしまうと納得する以外にはどうしようもありませんが、食事に関しては、研究者はこの街の人たちが毎日塩漬けのカタクチイワシとローズマリーを摂取しているところに注視していたそうです(ローズマリーは認知機能生涯と老化を防ぐ効果があることが研究でも明らかになっているそうです)。
それから、この起伏の多い街で人々は車を使わず、高齢になっても常に徒歩で移動をしていることも、長寿化の要因ではないかと指摘していました。
こうした説得力のある分析報告にも首肯かされますが、100歳近くまで長生きした親族ふたりの婆さんふたりを間近に見て来た事もあるので、人が長生きをするにはDNAや食事だけでなく、精神的なものも挙げられるのではないかと思っています。
年を取って生きる難しさを痛感すればするほど、イタリア人たちは老人への敬いを強める
イタリアでは老人を介護施設へ入れる人は決して多くはありません。介護施設自体がそんなに存在しないこともありますが、少なくとも、私がイタリアに暮らし始めた30年前から今に至るまで、南から北に暮らすイタリア人の親戚知人友人含めて、家族の中で老人を介護施設へ入れている人はひとりも知りません。イタリアでは老人は家族に面倒を見てもらいながら一緒に暮らすか、または外国人労働者の力などを借りて家に介護にきてもらうか、というパターンがメジャーなようです。
カトリックという宗教理念が、イタリア人たちの家族のありかたや考え方に大きな影響を及ぼしている為もあるかと思いますが、基本的にこの国ではお年寄りはどんなに厄介で手間がかかる存在になっても、家族の中では一番リスペクトされて当然の立場にいる人とされています。
家族の誰よりも長生きをしてきた=沢山大変な目にも遭ってきているのに、めげずに自分たちをここまで育ててくれた、という感謝の思いは誰にも根付いています。人生というものが楽しさや幸せだけを許されるものではなく、どれだけ不条理さと困難に満ちて大変なものなのか、年を取って生きる難しさを痛感すればするほどイタリア人たちは老人への敬いを強めていきます。
そして、自分たちの親をそのように敬う上の世代を見て、その下の世代もまた、同じような気持ちを自然と自分たちの中に養うようになるのです。
イタリア人の老人を敬う姿勢というのは、家族の中だけで見られるものではありません。日常生活でも、たとえば友人を家に招待すると彼らが御高齢のお母さんやお父さんも同伴してくる、というのはよくある事です。核家族化が進んでいる都市部と違って、年を取った親と一緒に行動をする、というのは小都市や田舎ではそれは今でも普通に見られる光景です。
ちなみに、うちの旦那の実家にいた2人の女性高齢者が、何故100歳近くになって亡くなる間際まであれだけ元気だったのか、という理由を考えたときに思い浮かぶのは、彼女たちのいつまでたっても萎えないプライドです。
周りから敬われるのが当たり前な環境だと、高齢者としてのプライドが根付くのは至極当然の成り行きだとは思うのですが、それに加えてこの2人の老婆には熾烈な、女性としてのライバル意識がありました。
とにかく自分はあんたよりしっかりしているんだ、と自己主張をするために「あんたそろそろボケてきたんじゃないの」「オムツは取り替えたのかい」などと言い合ったり、まあ、端から見ていると凄まじいものがありました。でも、あれも実はあのふたりが最後まで元気でいられた理由の1つだったのではないかと思っています。
それからもうひとつ。先述の世界ナンバーワン高齢者となった北イタリアのエマさんと、うちの姑のお母さんには、離婚経験者であるという共通点があります。うちの婆さんは亡くなる間際まで自分の夫の浮気癖が尋常では無かった事、当時の離婚は村中の話題になるほど珍しかったこと、それでも別れる勇気を持って女手一つで子供を育ててきたことへの誇り(または自慢)、などが渾然一体となった熱いスピーチを、延々と語っていたのを忘れません。
エマさんにもどうもそれと似た傾向があるらしい。自分が最初に結婚した夫への不平不満は116歳になった今も漏れ出ているそうですから、ある意味、幾つになっても男への憤りを奮起させる、そういった激しく熱い感情もまた、長生きの秘訣になっているのかもしれません(日本人女性でも、故宇野千代さんや瀬戸内寂聴さんなど、情熱的で破天荒な恋の経験者を思い出してしまいます)。
そして、やはりそういう話を聞いてくれる人がそばにいてくれる限り、言いたい事は内部に貯めておかずに伝えたい、という強い思いは衰えません。それがイタリアという国における長寿の秘訣の大きな理由なのではないのかな、という気がしています。
でも、実際元気なイタリア老人と一緒に暮らすのは、ほんとに大変な事ではあるんですけどもね……。イタリアの恐るべき老人パワーにご興味のある方は、私の『モーレツイタリア家族』というエッセイ漫画を是非。