8月某日 東京
イタリアで家族やその親戚、友人たちと集うと、私は彼等から仕事のために頻繁に日本に戻ることをたびたび懸念されます。先日、日本に3つの台風が集結していた情報はイタリアでも報道されていたらしく、友人から「そっちは大丈夫なの!?」というメールが届きました。台風やら地震やら火山やら、世界にたくさんの国がある中で、自然災害についての報道がこれだけ頻繁に流される国は日本くらいなのではないでしょうか。
そういえばイタリアで、親戚一同で集まっていた時に、日本では災害時マニュアルと避難用リュックを常備しているという話をしたら、皆一斉に表情を強張らせ「そこまでしなきゃいけないの!? 信じられない!」という目で見られました。避難用リュックには何が入っているのかと聞かれたので、携帯トイレから長持ちの蝋燭、水やカンパンなどの非常食にいたるまでの説明をすると、「そんな物騒な気持ちにさせるものを傍に置きながら、よく日本の国民はみな毅然と普通の生活が送れるね……」と呆れたような顔。
イタリアも日本と同じ火山と地震の被害を何度か経験してきた国ではありますが、頻度は圧倒的に少ないため、日本人が普通に持っている「いつ起きてもおかしくない」的な気構えは、その他沢山の国の人々と同様、イタリア人も持っていません。
ところが先日、紀元79年にイタリアのヴェスビオ火山で大噴火が起きたちょうど1937年後の8月24日、中部イタリアがマグニチュード6.1の大地震に見舞われ、300人近くの死者を出しています(8月29日現在)。09年にもやはり中部のアブルッツォ州でマグニチュード6.3の大地震が発生し300人以上の犠牲者を出していますが、それから7年目にして、再びこのような大きな被害をもたらす大地震が起こってしまい、国民はさすがに恐怖と動揺を隠せない状態になっています。
イタリア半島はユーラシアプレートとアフリカプレートが衝突している為に、地震は基本的に発生しやすく、地震の驚異には常に付きまとわれてきたわけです。09年の地震でも、地震委員会のメンバーたちが予知できなかったことで告訴されるといった事件も起きましたが、地震がいかに不意打ちで発生するものであるのか、専門家がどんなに頑張って調べたところで、未だに完全な予知が不可能であることを我々日本人は熟知しています。
日本は基本的に様々な自然災害によって、例えば建造物ひとつとってもそれが普遍的な頑丈さを保証するものではないことを判っているので、自分たちが暮らす家も被害によっては修繕したり立て替えたりする可能性も十分にある、という意識はあたりまえに持っていると思います。そのために、自然災害用の保険に入っている人も大勢いるわけです。
しかしイタリアという国は、訪れた方ならわかると思いますが、多くの建造物が地震によるダメージを考慮した作りになっていなければ、壊れたところで容易に修復ができるようなものでもありません。
日本のような、圧倒的な組織力と度重なる訓練を積んできた援助部隊の存在はむしろ特殊であり、自然災害で大きな被害を被っても、迅速に復興を進められるシステムはイタリアには未だ無い状態です。
7年前のアブルッツォ地方の地震の処理も未だ完全に終えられていないのは、建造物に用いられている素材が大きくかかわっています。
古代の人のなかにも地震対策を考えている人が……
地域に差はありますが、イタリアには石作りの古い建造物が沢山あります。古い街になればなるほどそういった家屋は増えますし、質量のある石を片付けるのは簡単な事ではありません。古代遺跡を訪れても、後世で発生した地震によって崩壊した家屋の屋根がそのままの状態で残されているのを見ると、石という手強い素材の存在感を痛感させられるばかりです。
ですが、やはり現代と同じく地震の脅威と向き合うことがしばしばあった古代の人の中には、既に対策を考えていた人たちもいました。例えば南イタリア・カンパニア州にあるパエストゥムというギリシャ植民地だった街の遺跡にあるネプチューン神殿は、建てられた場所にも建材にも耐震の策が為されていて、世界最古の耐震建造物とされています。
ヴェスビオ火山の噴火で埋もれた街・ポンペイも、火山の噴火から溯る事17年前に大きな地震がありましたが(現在連載中の漫画『プリニウス』にその時の様子が描かれています)、後の発掘調査で、この街が地震後にレンガの組み合わせなどを工夫して地震に耐えられる新しい建築構造を試みていたことが明らかにもなっています。
しかし、やはり地震というのは頻度が少なければ、人々も防災意識を持つことを忘れてしまうようです。
ちなみに私がイタリアで暮らしている家屋は築500年の石造りなので、効力のある耐震対策を施す術は今のところありません。そんな話を大家さんと話していたら、彼女曰く「500年も何事も無かったのだから大丈夫よ。地震なんて滅多にないんだし、考え過ぎよ」とのこと。地震大国日本生まれの私としてはどうも楽観はできないわけですが……。
でも今回の地震を教訓に、もしかするとイタリアでも日本のような耐震対策を意識した建造物が普及する可能性もあります。私が防災グッズを準備している事に「大袈裟な!」と驚いていた人たちも、それが決して過剰な対処ではないという事を感じたのではないでしょうか。
次にイタリアで親戚友人一同が集まる機会には、手元にある災害発生時用のマニュアルを見せてあげようと思っています。今ならきっと彼らも災害への心構えというものに対して、真剣に興味を持ってくれることでしょう。
備えあれば憂い無し。