10月某日 北イタリア・パドヴァ
フィレンツェに暮らしていたころ、私にはちょっと特別な友人がいました。彼女はフィレンツェとシエナの間にあるトスカーナの小さな村の出身ですが、実家がレストランで、しかもほぼ一見さんお断りの高級店でした。フランスなど隣国の大統領や有名人が訪れるほどの、その店の娘と親しかったおかげで、私は貧乏画学生の分際でありながら、何度かそこで食事をしたことがあります。
スペチャリタ(得意分野)はトスカーナらしい、キジやイノシシ、野うさぎなどを使ったジビエ系の料理ですが、とくに秋になると出されるポルチーニを代表とした地元の茸を使った料理の美味しさは、格別でした。茸採りのエキスパートでもあるレストランのシェフやスタッフ自らが森や林に入って収穫してきたポルチーニは、男の人の掌くらいもある大きな傘です。これらが葡萄の蔦を編んだカゴいっぱいに盛られて、注文をした客のテーブルに運ばれてくる様子は圧巻でした。
客はその山盛りの大きなポルチーニをしげしげと眺め、候補が決まるとそれを手に取って、様々な角度から品質を吟味します。ポルチーニの目利きである執事のような老人ウェイターからアドヴァイスを受け、最終的に調理の形態を決定するという仕組みです。
まるでダイアモンドの原石かなにかを品評するかのような真剣さで選ばれた極上ポルチーニ……。その一番人気のメニューは〝炭火焼きのオリーブオイルがけ〟でした。
私がこの友人の誕生会に誘われ、初めてこのレストランを訪れたのは、丁度今くらいの秋の始まる時期で、まさにポルチーニの旬のまっただ中であり、皆に振る舞われたのも名物ポルチーニの炭焼きだったのです。茸のコクがまったりと醸し出す妖艶な香りに包まれた、できたてほやほやのアツアツポルチーニを初めて口にした時の衝撃と感動といったら、それはもう筆舌に尽くし難い。美味し過ぎて身も心もびっくり驚いた、という経験は人生において何度かありますが、ポルチーニの味はそんな中でもトップに値すると言っていいかもしれません。
ナイフを入れると、わずかに低反発感のある、極上の綿の詰まった枕のようなふかふかな弾力。上から掛けられた地元産のこれまた香しいオリーブオイルが、ポルチーニのうまみがたっぷり含まれた出汁が染出す切断面を、艶やかに浸します。フォークの先に刺さったこの茸の〝肉〟を頬張ると、口の中いっぱいにじゅわあああっとうまみ出汁が溢れ出すわけですが、その瞬間、大袈裟かもしれませんが、気が遠のくような感覚に陥ります。〝この世にこんな夢みたいな味と食感の茸があるなんて!〟と、心の底から大自然の奇跡を崇めたい気持ちになったものでした。
当時私はまだ10代で、日本でも対して美味しい食体験をしてきていたわけではありません。食べた事のある茸といっても椎茸や、舞茸くらいだったでしょうか。基本的にぬめり感のある食べ物が好きな私にとって茸は勿論好物ではあるのだけど、日本では茸の王者と言われる松茸もまだ体験していませんでしたし、そこでいきなり口にしたポルチーニなわけですから、その抜群の美味しさに驚くのは当然の成り行きだったと言えるでしょう。
この友人の誕生会以来、私は年がら年中ポルチーニと、そしてこのレストランのことを頭の隅で思うようになりました。どんなに辛いことがあっても、ポルチーニを食べるチャンスがある限り頑張っていこうと思えましたし、このレストランへ行く日が予定に入っていると、もう目先の悩みなどどうでも良くなるほどでした。自分が臨終を迎えるときは、是非身近にいる人に頼んで、ポルチーニの炭火焼きを口いっぱいに頬張ってこの世とオサラバしたい、なんてことまで考えてしまう程、私はこの茸の虜になってしまったのです。
17歳からイタリアに移り、イタリア人の夫を持ち、今もイタリアで暮らしている私ですが、実はイタリア料理はそんなに好きではありません。大都市ならまだしも、小規模な都市に暮らせばイタリア人用にアレンジされた中華料理以外、他国の料理を食べられる機会の殆どないこの国の食に対する保守性が原因だという気もしますが、もともと洋食がそれほど好きではなかったというのが最大の理由でしょう。
しかし、そんな私が臨終時に頬張っていたいと思う食べ物が、イタリアの名物茸料理なのですから、どれだけこのポルチーニに心を奪われたのかがわかっていただけるかと思います。
私の視界の隅に飛び込んできた、ポルチーニのシルエット
私が今現在暮らしているのはイタリアの北東部になりますが、アルプスのドロミテ山塊までは車に乗れば数時間で行けてしまいます。夫の家族は昔から夏になると避暑、冬になればスキーを楽しみに、このドロミテ山塊のオーストリア寄りにある小さな村に良く出かけるのですが、この地域は茸採取のメッカでもあるのでした。
今から数年前、9月の初頭に数日間だけこの村を訪ねた私たち家族は、定宿にしている小さなホテルのロビーで、採れたてのポルチーニで籠をいっぱいにして山から帰ってきた女性とすれ違ったことがありました。私も夫も自分たちが目にしたものに全意識が奪われ、早速その翌日、親子3人で茸探しに山へ入ることにしました。
ところが、9月の初頭であるにもかかわらず、我々が山に入ってものの数時間もしないうちに雪が降り始め、それはたちまち吹雪のようになってしまいました。ポルチーニどころの騒ぎではありませんので、取りあえず登山用の山小屋に避難するために、急ぎ足で山道を登りました。とその時、私の視界の隅に、こんもり新雪を積もらせたポルチーニのシルエットが入り込んできたのです。
大興奮に見舞われた私は一気に道を逸れて、鼻息を荒めてその茸に飛びかかっていきました。悲願の野生のポルチーニを発見できたのです。寒さで滴る洟を拭いもせずに、私はポルチーニの上に被った雪を振り払いました。
しかし、雪を払われたその茸は形状こそそっくりであれ、傘は鮮やかに赤く、おまけに全体に白い水玉がちりばめられたお伽話風のデザイン。それは、ディズニーの白雪姫などに出てくる、一口食べると笑いが止まらなくなるとか、そういう類いの、毒系茸であることくらいは素人の私にも認識はできました。頭の中がすっかりジューシーなポルチーニ料理でいっぱいになっていた私の、その時の落胆といったら……。
あのとき、毒茸であるベニテングダケに飛びかかっていった私のことを、夫は未だに人が集まる機会で笑い話にしていますが、結局その後も野生のポルチーニに出会えたことはありません。毎年秋になるたび、私は心の隅でかつてトスカーナの友人の実家で食べた極上炭焼きポルチーニの味を思い出し、雨上がりの山を眺めてはそこにたくさん生えているはずのキング・オブ・茸を思って切ない気持ちになるのでした。
そういえば歴代の古代ローマ皇帝にクラディウスという人がいますが、これが大の茸好きで、最後にはネロの母親アグリッピナの陰謀で毒をまぶされた茸を食べたことによって殺害されたと言われています。まあ、でも、なんていうのか、大好きなものをたらふく食べての最期だったのなら、クラディウスも余計な怨念など残さず成仏したのではないかな、などと同じ茸好きの立場の私は思うのでした。
魔性の茸、ポルチーニ。今年はまだ食する事が叶っていないのでした。嗚呼、食べたい!