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リオ五輪バドミントン女子シングルスに出場する奥原希望選手(21)の家は、長野県大町市郊外の田園地帯にあった。玄関のガラス戸を開けると、正面に置かれたたんすの上のぬいぐるみの山が目に留まる。

 

「全部、希望が大会や遠征先で買い集めてきたものです。最初は、各県・各市のゆるキャラや大会マスコットでしたが、だんだん海外のキャラクターが増えていって」

 

奥原選手の母・秀子さん(53)が笑顔で言った。真新しいものは昨年12月、ドバイで行われた「スーパーシリーズファイナルズ」の大会キャラクターだった。この世界最高峰の大会で優勝したのは日本人初の快挙。世界ランク3位(現在は6位)にまで上り詰めた彼女は、リオでも十分メダルを狙える位置にいる。

 

「私はずっと希望の試合の撮影係です。でもビデオに声が入ってしまうから、これまで応援は我慢してきました。その分、リオでは思い切り声援を送りたいです」(秀子さん・以下同)

 

奥原家は、秀子さんが小学校の栄養教諭、父・圭永さん(58)は高校の物理教師という教育者一家。希望さんは、4歳上に姉(26)、3歳上に兄(24)がいる末っ子だ。

 

「希望がラケットを初めて握ったのは小学校1年生のとき。当時、大町北高校に赴任した主人が、たまたまバドミントン部の顧問になりました。土日も練習があり、子供たちを体育館で遊ばせてもらっているうちに、3人ともバドミントンを始めたんです」

 

実は圭永さん、バドミントン競技は全くの素人だった。得意種目はアルペンスキーで、元モーグル五輪代表の上村愛子さんは、白馬高校時代の教え子だったそうだ。バドミントンとの出合いは、偶然だったが、希望さんは姉や兄をライバル視していた。

 

「姉や兄にも絶対勝ちたいと思っていたようです。ピアノや勉強ではそんな負けん気は見せなかったのに、バドミントンだけは別でしたね」

 

2年生になった希望さんに、ある日、圭永さんが「大会に出るか?」と聞いた。「出たい」という彼女は全国小学生ABC大会(小2以下)にエントリー。それまで遊びレベルだった希望さんだが、長野県予選で優勝し、さらにやる気に火がついた。すぐさま本格的な練習を始め、全国大会で決勝トーナメントまで勝ち進む。

 

「初めて出た全国大会で、勝てたうれしさ、負けた悔しさを味わえたことが、希望がバドミントンにのめりこんでいくきっかけになったようです」

 

中学卒業後は、埼玉県にあるバドミントンの名門・大宮東高校へ進学し、先生宅に下宿することになった。「家を出ることだけは、最後まで反対だったんですけどね」と、秀子さん。しかし、その下宿先を引き払うとき、希望さんの部屋に貼られた「今年の目標」の紙を見つけて、秀子さんはあふれる涙が止まらなくなった。

 

「主人の意向で毎年、正月には子供たちにその年の目標を書かせ、壁に貼るんです。希望は、それを下宿先でもやっていたんですね。『世界ジュニア優勝』『全日本で決勝に』などと書かれていました。くじけそうなこともあったと思うんです。でも一人でジッと我慢して、この紙を見つめていたんでしょう」

 

自分で掲げた目標どおり、希望さんは高1で全日本ジュニア選手権優勝。高2の全日本総合選手権も優勝し、16歳8カ月で史上最年少の全日本女王に上り詰めた。

 

身長156センチは世界ランカーと並ぶと小柄だ。’13年に左膝の半月板、’14年には右膝の半月板を痛め、手術を受け、どん底も経験。しかしリハビリを乗り越えて復活を果たし、ついにリオのコートに立つ。

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