「数年前から続く宿坊ブームですが、最近は日本文化に興味を持つ外国人観光客の間でも人気を集め、新たに宿坊を造ろうという動きが盛り上がっています」
こう話すのは、寺社を巡る旅の研究家で、宿坊研究会を主宰する堀内克彦さん。堀内さんによると、最近では企業主導で宿坊を建設するケースも出てきているという。
「これまで宿坊といえばお寺や神社が自ら宿泊施設を建設・運営するのが一般的でした。しかし、寺社のみで費用を賄うのは大きな負担。そこで観光客の需要を受け、企業が宿坊建設に乗り出したのです」(堀内さん・以下同)
宿坊に投資する「宿坊ファンド」も登場。投資会社と全国寺社観光協会がタッグを組み、投資家から資金を集め、宿坊を建設・運営するという新たな仕組みだ。全国寺社観光協会は「宿坊創生プロジェクト」と称した事業で、このファンドを利用し、全国に宿坊を建設。その魅力を発信していく予定だ。
宿坊に熱い視線を注ぐのは、企業だけではない。今年の夏、自民党本部ビルで開催された「自民党観光立国調査会」では、堀内さんが宿坊についての講演を行った。
「昨年は安倍首相が高野山の宿坊を視察しています。宿坊が観光客を集め、地方が活性化すること、また災害などの非常時に避難民の受け皿となり、災害支援のインフラとしても活用できることから、国政の場でも注目されているんです。地方創生に携わる議員の方々も、宿坊についての調査を始めています」
そもそも宿坊とは、参拝に訪れた信者を泊めるための施設。歴史の中で初めて登場したのは、いつごろなのか。
「宿坊の原型ができたのは、平安時代と伝えられます。上皇など高貴な人々が伊勢や熊野詣でに出かける際、門前の寺社に泊まったのが宿坊の始まりでした」
時代が下るにつれ庶民に広まり、江戸時代になると寺社の周りに多くの宿坊が現れた。
「寺社の僧侶や神職が農村にもやってきて、お参りで功徳が積めることを説きました。そうして村で選ばれた代表者が遠くの寺社に出かけ、宿坊に泊まってお参りをしたのです。そのころの宿坊では道中の旅行情報を提供したりと、今でいう観光会社のようなこともしていました」
しかし明治になると廃仏毀釈が行われ、寺院自体が激減。戦後もライフスタイルの変化により宿坊の需要は減り、長く低迷していた。
「それが現代になり、宿坊が再び人々に求められる時代になったのです」
最近では座禅や写経といった従来の体験だけでなく、ヨガの合宿やコンサートを開くなど、より身近な体験を提供する宿坊も増えている。
「現代では、地方から出て都市部で暮らす家族が増えた影響を受け、地方のお寺の檀家が減りつつあります。また、お葬式も次第に簡略化され、お寺の収入源自体が減っている状況。そんな中で、お寺側も新たにいろんな人に来てもらおうと、世の中のニーズをくみ取り、これまでにない取り組みを始めているんです」