塩は、今日ではあまりに身近な存在となったために、ともすれば料理の味付け程度に考えがちです。でも、私たちの生命維持には不可欠のもので、生理学的には健康人で一日に12~15グラムの塩が必要とされています。地球で最初の生命が誕生したのも海水からですから、生命と塩は切っても切れない関係にあることがわかりますね。ただ、人間が何のきっかけで塩を発見したのかは定かではありません。でも、多くの動物が塩を求めて遠路を移動することから考えて、人類も本能的に塩を必要としたのでしょう。その足跡として、「塩の道」と呼ばれる道が世界中にあり、人々が塩の交易を盛んにしていたことがうかがえます。一説には、世界の主要道のはじまりは塩を運ぶ道であったとされているほどです。
塩はまさに、人類の歴史とともにあった貴重な資源です。でも、その塩に人類は生理学的な欲求だけを感じていたかと言えば、違うのですよね。塩にはある種の霊力があると信じられ、古今東西、いろいろな言い伝えが残されています。エジプトやギリシアでは悪霊を祓うまじないとして、塩を自分の肩越しに後ろへ向かって投げるという風習があったそうです。また、ネイティブ・アメリカンの間では塩は神聖視され、いろいろな儀式の中で使われていたそうです。
でも、何と言っても塩のパワーを最大限に活用してきたのは私たち日本人かもしれませんね。今日でも「お清め塩」として身の浄化に用いたり、水商売の店舗では入り口の足元に「盛り塩」をするという習慣もあります。一方、神道においても塩は「清め」に使われ、この流れは相撲の世界にも継承。力士は土俵に塩をまき、土俵の浄化を行います。そして、もちろんパワーストーンの浄化にも塩はとても効果的です。ちょっと面白いのは、嫌なお客が帰った後は、「塩を撒く」という風習があります。これも、邪気を祓うという浄化のパワーを期待してのことですね。
ここで私見を申し上げておきましょう。陸地でとれる岩塩(ハーライト)も海水から人工的に精製される塩も化学成分は同じNaCl (塩化ナトリウム)です。でも、私は岩塩には一般の塩とは異なったパワーを感じています。それは、端的に言いますと、「癒しのパワー」です。岩塩(ハーライト)から伝わってくる波動には周囲を清めるという緊張感より、空気をホッとさせる安らぎが感じられるのです。実際、私は仕事で頭が疲れてくると、知らぬ間にハーライトのそばに近寄って、両手で包むようにハーライトと接触します。すると、実に穏やかな波動が掌に伝わって、それが全身に広がり、私の気持ちがスーッと癒されるのです。
したがって、私は「塩」は「浄化」、「岩塩(ハーライト)」は「癒し」というように区別してお付き合いしています。もしあなたが、「岩塩(ハーライト)」に強く惹かれることがあったなら、少し大きめの塊を手に入れて、ときどき手で触れてみてくださいね。たぶん私が感じると同じような「癒し」効果に救われると思いますよ。