沖縄戦で亡くなった父やきょうだい5人が刻まれた平和の礎に手を合わせる我如古盛徳さん(前列右)や家族ら=23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園 画像を見る

 

沖縄戦で家族8人中6人を失った我如古盛徳さん(83)=宜野湾市=は23日、子や孫、ひ孫ら4世代計13人で父やきょうだいの名が刻まれた平和の礎を訪れた。家族で命の重みをかみしめ、非戦の誓いを込め、手を合わせた。

 

戦時中、両親ときょうだい5人で現在の宜野湾市志真志に住んでいた。1945年4月に米軍が本島に上陸し、激しい地上戦が繰り広げられる中、本島中部を転々とし、6月には南部へ避難した。家族で避難していた現在の糸満市真壁の空き家近くに米軍の砲弾が着弾。爆風で倒れた家の下敷きになり次女・テル子さん、三女・ヨシ子さんの妹2人が命を落とした。

 

その後、夜に摩文仁の海沿いから奥武島へ避難する際に、父・盛蒲さんと長女・春子さん、次男・盛栄さん、三男・盛憲さんが波にのみ込まれて、帰らぬ人となった。母と盛徳さんの2人だけが生き残った。

 

戦後73年。米軍基地の過重な負担は続き、名護市辺野古への新基地建設も進む。礎の前を訪れた我如古さんは「戦争はいつ起こるか分からない。二度と戦争が起こらないように平和に暮らしたい」と強調する。

 

我如古さんの体験を聞いた孫の我如古彩華さん(20)や垣花美琉さん(16)は「おじいちゃんが生きていたから私たちがいる」「体験者が少なくなっている中、聞いた話を伝えていきたい」とそれぞれ語り、沖縄戦の継承を誓った。 (古堅一樹)

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