目標であり、ライバルであり、反面教師であり――。さまざまな親子のカタチがあるけれど、自分の人生は“母から自立できたとき”に始まります。そんな母と娘の関係について話を聞きました。題して「“母”が歩いた道、私が歩く道」。
自らを“父親っ子”という西村知美さん(47)は、実母の綾子さん(74)との間に長い確執があったと打ち明ける。
「うちの母は、ずっと共働きで事務の仕事をしていて、家庭にいる時間が少なかったせいもあり、私は幼いころからコミュニケーションを取れずに反発していました」
中学時代のこと、激しい言い争いになり、母に平手打ちされた。とっさに言い返す西村さん。
「私は、あなたみたいな母親には絶対にならない!」
もっとひどい仕打ちがかえってくると構えていたが、意外にも母は冷静な表情でつぶやいた。
「今、言った言葉を覚えておいて。将来、同じことを、あなたも自分の子どもから言われるから」
14歳のとき、母との関係はぎくしゃくとしたまま、姉が応募した「第1回ミス・モモコクラブ」オーディションでグランプリに輝き、単身で山口から上京。
26歳で、元タレントの西尾拓美さん(51)と結婚。2度の流産と不妊治療を乗り越えて長女の咲々さん(15)を出産したのは32歳。
「結婚も事後報告でしたが、妊娠となると、わからないことだらけで不安でした。まわりに聞くと、みんな、『自分の母親に頼った』と言う。このときばかりは背に腹は代えられずの思いで、悩んだ末に母に電話するんです。おずおずと『来てくれない?』と言うと、思いのほか、あっさり『いいわよ』と、当たり前のように上京してきたんです」
出産をはさんで、2カ月間を共に過ごすことになったが、「戸惑うというより、新鮮でしたね。だって、母と2人きりで2カ月も過ごすなんて、三十数年間の人生で初めてでしたから」。
ここで、母の素顔にふれる。
「母は、子育て経験者として余裕で手ほどきしてくれるのかと思ってたら、赤ちゃんの具合が少し悪かったりすると、私と一緒にオロオロして『病院に電話しなきゃ』って。食事も、料理もは相変わらず上手じゃないんですが(笑)、母なりに工夫して産後の私に栄養のあるおかずを作ってくれたり。そんな姿を見ていて、ああ、うちのお母さんは、表現するのが下手なだけで、いつも一生懸命なんだと初めて気付くんですね」
自分も親となり、かつての母親の気持ちを知ったことで、いつしか確執も消えていたと話す。それ以降は、いままでの疎遠が嘘のように、母親に頼み事をしているという。
「私が泊りがけのロケなどがあるときは、母に山口から上京してもらって、娘の面倒を見てもらっています」
これには、’00年にホームヘルパー2級の資格を取得していた西村さんならではの考えもある。
「何でも手を差し伸べることは、けっして高齢の方のためにならないんですね。できる範囲で頼み事をするのは、生きる糧になりますし、親孝行にもなる。母自身、孫の世話は楽しそうですし」
昨年には、母が内臓と血管の、父の省吾さん(81)が胃の大手術を経験する家族の危機もあった。
「母も父も、なんとか無事に乗り越えました。ふだんは実家で姉が同居して面倒を見てくれています。私は、ようやく母親との関係を修復できて、気をつけていることがあります。それは、思いを言葉やカタチにするということです」
西村さん自身、あれだけ母親に反発していたせいで、自分は嫌われていると思い込んでいた。
「でも、違ったんですね。今年の夏、テレビの企画で実家の断捨離をしたとき、母が私のアイドル時代からのスクラップをしていたことを知って涙が止まりませんでした。当時、私は知ろうともしなかったし、母も言わなかった。親子だから、言わなくても『目と目で通じ合う』というのは幻想です。ですから今は、母が上京してくれたときには、必ず感謝の手紙を渡したり、ふだんからメールや電話を心がけています」
そして、この学びは、自身の子育てにも生かされている。
「今、娘がまさに私が実家を離れたときと同じ年ごろなんです。そう、思い出しましたよ~、あの母の平手打ちのときの言葉(笑)。ですから、娘には、『うちは何でも口に出して言うようにしようね』とふだんから話しています」
今、その娘さんも一緒に、できる限り多く両親との家族旅行を楽しんでいるのにも理由がある。
「親孝行は、“いつか”ではなく“今するもの”と思います。共に過ごすことで増える思い出こそが家族の宝物なんですね」
失われていた母親との時間を取り戻そうとするのに遅すぎることはない事実を、西村さん母娘が教えてくれる。