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「岡村くんの理想は“安心感のある芸人”。気づいたら視聴者が笑顔になっている、そんな存在になりたいそうです。最近はNHKの『チコちゃんに叱られる!』でMCをつとめていますが、頑張るのはチコちゃんと声優の木村祐一くん(55)。岡村くんは立っているだけで何もしない。でもなぜか笑えるんです。そういう意味で理想に近づいていると思います」

 

そう語るのは、「ナインティナイン」岡村隆史(48)の恩師・本多正識氏(60)。吉本興業の新人養成スクール「吉本総合芸能学院(NSC)」で講師を務めており、岡村との対談本『素顔の岡村隆史』(ヨシモトブックス)では計6回・のべ15時間もインタビュー。岡村が長期療養した真実、大阪を拠点にし始めた近年の胸中などを赤裸々につづっている。

 

これまで多くを語らなかった岡村が、恩師だけに語った本音。2人の出会いは90年。本多氏が初めてNSCの講師を務めることになり、その最初のクラスに入学したばかりの岡村と矢部浩之(47)がいたのだ。本多氏は運命的なものを感じたという。

 

90年、岡村はNSCを授業料滞納により3カ月で中退。だが吉本の劇場に出演できるようになり、すぐさまブレーク。翌91年には、東京進出を果たした。そして『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)など数々の冠番組を抱えるようになったナイナイ。だが10年、岡村は芸能活動休養を発表した。

 

「岡村くんは完ぺき主義。常に全力投球で、いっさい妥協を許しませんでした。番組のコントで使うケーキの焼き加減がよくないことでさえ、自分の責任と感じるほど。真面目が度を越し、全部自分で抱え込むようになっていたんです。彼は『閉め切った部屋で台本を書いていたら、一睡もしないまま2日間がたっていた』と語っていました。これはまずいと思って病院に行っても、頭に浮かんでくるのは原稿用紙。当時の話を聞くと、いつ自ら命を絶ってもおかしくないようにすら思えました」

 

突然ブレークしたことで、周囲にはさまざまな人が集まってきた。結果、対人恐怖症にも陥ってしまったという。そんな生活をリセットした岡村。5カ月の休養について本多氏は「笑いの神様が『ここで休んでまた元気になれ』と言ってくれたのだと思います」と語る。実際、休んだことによって岡村はいい意味で変わった。

 

「復帰後、岡村くんは『僕はポンコツになりました』と言っていました。それは完ぺき主義だった芸人が、ミスや失敗を認められるようになったということ。“お笑い芸人のナイナイ岡村”ではなく、“人間の岡村隆史”になったんです。何でも背負い込んでいた以前と違い、周囲に『そっちで決めて』と任せられるように。失敗しても『それは僕の責任じゃない』と言えるようになりました。東野幸治くん(51)に『お前、ポンコツになったなぁ』と言われたそうですが、岡村くんはそれをとても嬉しそうに話していました」

 

“人間宣言”をした岡村は、芸人としても変化した。デビューから東京で働き続けてきたが、どんどんレギュラーを縮小。最近は『なるみ・岡村のすぎるTV』(朝日放送)など、関西での活動にシフトチェンジし始めている。

 

「岡村くんは『もう東京には何の未練もない。僕の最終目標は大阪に帰って仕事すること』と言っていました。東京で人気が出ると、見知らぬ人たちが友だちのような顔をして近づいてきた。彼は人間不信に陥り、向こうにいるときは自然とバリアを張っていたようです。また東京では楽屋も基本的に1人部屋で、収録後はバラバラに解散。芸人同士、交流する機会も少なかったようです。大阪だとNGK(なんばグランド花月)が大好きみたいです。みんながこもらず楽屋裏のソファーで談笑。憧れの師匠がいて、そこに若手芸人が集まってくる。岡村くんは『和やかな雰囲気がたまらなく好き』と言っていました」

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