「あぁ、だからですか、最初に私の顔見て記者さん、なんだか怪訝そうな顔してたもんねぇ(笑)」
齢102を迎えたいまも現役で理容師を続ける女性がいると聞き、取材に向かった。場所は栃木県那珂川町。約束の時間に国道沿いの店舗兼自宅を訪ねると、部屋の奥でこたつに入っていた小柄な女性がスクッと立ち上がり、小走りで駆け寄ってきた。
これまで、何人もの“アラ100”の人を取材してきた経験から記者は、この女性は目当ての理容師の娘さんか身内の人だろうと考えた。
「箱石シツイさんの取材で来ました」
こう告げると、女性はぺこりと頭を下げた。
「こんな遠くまでご苦労さまです、私が箱石シツイです」
シャンと伸びた背筋、ツヤツヤでしわの少ない顔、そして何より、軽やかな足取りと機敏な動き……目の前の女性と、思い描いてきた100歳超の老人のイメージとがかけ離れていて、驚くというより戸惑いを覚えた。
インタビュー中、「あまりに若くて最初は人違いだと思いました」と伝えると「記者さん、困ったような顔してたもんねぇ」と愉快そうに笑った。
今年1月から長男・英政さん(75)夫婦と同居を始めたが、昨年12月まで、半世紀以上にわたってずっと1人暮らし。炊事など家事全般を1人でこなし、理容店もたった1人で切り盛りしてきた。昭和11(1936)年に理容師免許を取得して以来80年余、いまも衰え知らずで、毎日ハサミを握る。
「いまはもう、常連さんしか来ないです。その常連さんも亡くなったり、老人ホームに入ったり、だいぶ減っちゃいました」
それでも「よそではダメなんだ、箱石さんじゃなきゃ」と、わざわざ足を運ぶ人も少なくない。
箱石さんがここに「理容ハコイシ」をオープンしたのは、昭和28(1953)年8月13日、お盆の前日だった。
「やっぱり田舎はお盆と正月、こざっぱりするのが習わし。お盆の前には皆、床屋にかかります。だからその日を狙って開店したの」
戦略は大当たり。店は開店当初から大盛況だった。
箱石さんは周囲から「東下り」と呼ばれた。東京で最新技術を学んだ理容師という褒め言葉だ。口コミで人気は広がり、県境を越え茨城や福島からも客が来た。毎年、大みそかから元日の昼までは客が途切れず、一睡もできないほど。
「開業のときの借金の返済と、子どもの教育費を稼ぐために、もう、無我夢中で働きました。それで、気付いたら100歳を超えてた(笑)」
取材の日。常連客の1人が散髪にやって来た。箱石さんは椅子に腰掛けたお客さんに散髪用のブーケをかぶせ、道具を準備。箱石さんのお気に入りは「眼鏡ハサミ」と呼ばれる、小指掛けのない戦前のもの。
「いまの人は小指をひっかけないと安定しない、使えないみたいですけど。私はもう80年以上、使ってる。砥ぎ砥ぎ使って、すっかり短くなっちゃった」
そして、お客さんにこう声をかけてハサミを使い始めた。
「まだ寒い日もあっから、少し長めにしときましょうね」
80年以上使ってきたハサミで、お客さんの髪を軽快に切っていく。ひげそりは、確かな手さばきでカミソリを、細かいところまでていねいにあてる。終わったあとのお客さんの顔はピカピカだ。
手が震えたりは、まったくない。背筋を伸ばして理髪する姿は驚くほかはない。
「私は床屋しかできませんから。できるうちは続けたい。私を必要としてくれる人がいるうちはね」