4月10日にご成婚60周年を迎えられた天皇皇后両陛下。
「夜には、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、黒田清子さん夫妻と、食卓を囲まれましたが、昭和・平成の思い出話をされるとともに、きたる令和の御代についても語り合われたのではないでしょうか」(皇室担当記者)
平成が幕を閉じようとするなか、刻々と迫ってきている新天皇のご即位。5月1日の「剣璽等承継の儀」の後に行われる「即位後朝見の儀」で、雅子さまは新天皇とごいっしょに“新皇后”としてお出ましになるのだ。皇太子さまと雅子さまが静かに温め続けられている“令和スタイル”。その一端が、新元号が発表された日に明らかにされた。
「4月1日に産経新聞が、従来は皇居・宮殿で行っていたご公務の一部を、新天皇と新皇后は、お住まい(現在の東宮御所、5月1日以降は赤坂御所と改称)で実施する方向であることを報じています」(皇室担当記者)
皇居・宮殿が公的施設であるのに対し、天皇皇后両陛下の私邸といえるのが御所。両陛下が高輪皇族邸に移られた後に、御所は改装され、皇太子ご夫妻が入られるのは’20年春を予定されているという。皇太子ご夫妻は、それまで赤坂御所(現在の東宮御所)に住まわれることになるが、いわば“自宅”で多くのご公務に励まれるというのだ。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは言う。
「天皇皇后両陛下は、’93年に竣工した現在の御所に引っ越されるまでの5年間は、公務のためにお住まいの赤坂御所から頻繁に皇居に通われていました。様々な受章者や功労者などの拝謁や国公賓関係の行事は宮殿で行われますし、執務も宮殿でされることが多かったからです」
両陛下のご公務といえば、地方への行幸啓や、式典などへのご出席という印象が強いが、日本の大使夫妻、外国の駐日大使夫妻たちと会われることも、重要なお役目の1つだ。ちなみに’18年10月、美智子さまのお誕生日に際して、宮内庁は次のように発表している。
《(この1年間で)今年お招きを受けた大使夫妻は62か国、2組織、110人に及びます。 日本から赴任する37か国と2組織の大使夫妻にも出発前にお会いになり、同様に帰国した30か国、1組織の大使夫妻をお茶にお招きになって任地の様子をお聴きになりました》
平成初期の両陛下は、ときには1日に何度も、赤坂御所と皇居・宮殿を往復されたので、そのご負担は想像を絶するものだったという。
「皇太子ご夫妻は現在も東宮御所の公室棟で、外国大使と面会されたり、外国の賓客と食事会を催されたりしていますが、即位後もそのスタイルを続けられることになるそうです。 御代替わり以降は、面会されるお客さまも格段に増えます。そのたびに皇居・宮殿に移動されるのは合理的ではありませんし、雅子さまにとってもご負担が大きすぎるというご判断なのでしょう」(宮内庁関係者)
数年前から“働き方改革”の必要性が叫ばれるようになっており、この4月1日から関連法案が順次施行されている。前例主義の宮中にいながら、皇太子ご夫妻があえて決断された「公務は自宅で!」という構想は、まさに革命的ともいえるだろう。
「赤坂御所と皇居の間は自動車で移動されますが、その都度、警視庁の車両が先導し、短時間とはいえ道路は規制されます。宮殿は各部屋とも天井が高いため、行事などで使用する時はかなり前から冷暖房を稼働させます。天皇皇后両陛下は、東日本大震災後の節電を機に、御所でも可能な公務はできるだけ御所でされるようになりました。そういった前例もありますし、新天皇皇后が赤坂御所で公務をされることは合理的だとは言えます」(前出・山下さん)
宮中晩さん会や大人数の拝謁など、宮殿でしかできない行事もあるが、警備費や光熱費などの費用面、部屋の広さなどの物理面、行事の格式などのバランスに留意し、決めていくことになるという。この“職住一体スタイル”には、長期療養中の雅子さまにとって、当面は慣れた場所でご公務ができるというメリットもある。
「いずれ赤坂御所から、改装された御所に引っ越しをされるまでに、皇后というお立場に少しでも慣れていただければと思います」(精神科医の香山リカさん)
令和の幕開けまであと3週間。雅子さまには、ゆっくりであっても着実に“皇后の道”を歩んでいただきたい。