「懲役8年は大変重い刑です。結愛ちゃんは戻ってきませんが、こうなってしまったことを裁判が終わってからもしっかり考えてください。人生をやり直してください」
裁判長からの説諭に、スーツ姿の船戸優里被告(27)は小さくうなずいた。
’18年3月に5歳児・船戸結愛ちゃんは亡くなった。体重は標準より6キロも軽い12.2キロ、なきがらには古いものから新しいものまで170以上の傷やあざが残されていたという。それから1年半、保護責任者遺棄致死罪に問われた母親・優里被告に対して、東京地裁は懲役8年の実刑判決を言い渡した。
裁判長は「夫の暴行を認識しながら結果的に容認し、犯情は重い」と指摘しており、インターネット上でも、優里被告に対する厳しい声があふれている。《母親なら、なぜ体を張って止めなかったのか》《甘い 幼児虐待は死刑にすべき》《自分の子供を殺して、懲役8年か》……。
だが実は優里被告自身も裁判長の“大変重い刑”という言葉には、内心で違和感を覚えていたという。「私は厳しい判決だと思いました。でも優里さんは、もっと重い量刑を予想していたようです。求刑が11年でしたから、そのくらいと思っていたのでしょう」と語るのは、優里被告を担当した弁護士。
「私が彼女に会ったころは、『私は鬼母なんだから、死んでもいいんだ』と言っていました。結愛ちゃんを救えなかったことも苦しかったでしょうし、逮捕されるまでの3カ月間、自分を糾弾する報道も目にする機会もあったのでしょう。とにかく“死にたい”“死ねば結愛に会える”と……。頭や心に膜がかかった状態といえばいいのでしょうか。何を聞いてもなかなか正確には答えも返ってきませんし、自分の太ももをたたき始めたり……。判断能力が低下している状態で、彼女にはカウンセリングが必要だと思いました」
優里被告は再婚相手だった雄大被告(今年4月に離婚が成立)から心理的なドメスティックバイオレンスを受けていたという。彼女は法廷で次のように証言している。
《私の行動や発言、すべてが怒られます。何回言っても許してくれないので、自分を傷つければわかってくれるかなと思って、自分の髪の毛を引っ張ったり、太ももを次の日真っ黒になるまでたたいたり、自分の顔をたたいたりということを見せました》
優里被告が自分がDVを受けていたことを理解するまで、数カ月を要したという。彼女をカウンセリングしたNPO法人Saya-Sayaの代表理事・松本和子さんは言う。
「1年ほど前、東京拘置所で何度も面会しました。いまでも優里さんは結愛ちゃんが亡くなったことについて『死んでお詫びしたい』と、言うのです。心理的DVの加害者は狡猾です。罵倒したかと思えば、急に理解してみせたり優しくしたりして、“アメとムチ”を使い分けます。彼女が自分の量刑について『短すぎるのでは』と、考えているのは、元夫からのマインドコントロールがいまだ完全には解けていないということ。とても気の毒だと思います」
また公判では優里被告に対する元夫の言動を、“DVとして典型的で最悪なケース”と証言した精神科医の白川美也子医師は次のように語った。
「公判での彼女の姿から、悪質なDVの影響による心の傷や解離(意識が飛ぶこと)、さらに夫の洗脳から完全に回復していないことを思わせる様子がうかがわれました。ですから当初の供述でも、“本当は何が起こったのか”を話せていたのか疑問です。今後の彼女に必要なのはPTSDや解離性障害の治療ですが、(刑務所でも)その機会が与えられ、次の人生にしっかり向き合えるようになることを望んでいます」
最初は“死にたい”を繰り返す優里被告だったが、勾留15カ月を経て、少しずつ事件に向き合う気力を養っていったようだ。前出の担当弁護士が続ける。
「彼女には今回の事件の資料をファイルにして渡しており、彼女は東京拘置所の部屋に、それを置いていました。ファイルのなかには結愛ちゃんの、あざだらけになった遺体の写真もあったのです。彼女は最初、そのファイルを見ることもできませんでした。しかし公判1カ月前の8月には、ようやく読むことができるようになったのです。彼女にとっては勇気が必要なことだったでしょう。最近はこんなことを言うようにもなりました。『自分が死んだら、結愛が生きていたことを覚えている人間がいなくなってしまう』と……」
だが彼女には刑務所生活に入る前に、別の“罰”も待っているという。
「10月1日から雄大被告の公判もスタートします。その法廷に彼女も検察側の証人として立つのです。雄大被告は事件の詳細について、ほとんど口を開こうとしないため、検察は優里さんに証言することを求めたのです。法廷では遮蔽板も立ててもらいます。でもDVの加害者と同じ場にいなければならないのは、彼女にとって恐怖だと思います。最初は『絶対に無理です』と、泣くばかりでしたが、ようやく承知してくれました。彼女も結愛ちゃんの死の真相を明らかにするために、耐えなければいけない、と考えているのでしょう」
優里被告に下された刑期は8年。だが彼女は一生、わが子を救えなかったという自責の念を抱えながら生きていくのだ。