第1回沖縄平和賞贈呈式で稲嶺恵一知事(当時・左)から記念品を受け取る中村哲医師=2002年 画像を見る

 

「沖縄の抱える矛盾、これは凝縮された日本の矛盾でもありますが、米軍に協力する姿勢を見せないと生き延びられないという実情は、実はかの地でも同じです」。中村哲さんは第1回沖縄平和賞の授賞式でこうあいさつした。平和賞で贈られた浄財の一部をアフガニスタン東部ダラエピーチの診療所建設費に充て「オキナワ・ピース・クリニック」と名付けた中村さんの訃報に県内からも惜しむ声が相次いだ。

 

友人の一人によると、大学時代の中村さんは講義などの議論で率先して発言するタイプではなかった。ただ、中村さんが発言すると結果的にその場がまとまるような存在感、カリスマ性があった。また、大学受験では試験が簡単すぎて受験勉強をしなかったために浪人したといい、豪快な一面もあったという。

 

中村さんは講演などで沖縄をたびたび訪れ、多くの県民に影響を与えた。沖縄県女性の翼の会は「人間を尊重し、命を大切にするペシャワール会の活動は女性の翼の会の精神に通じる」と2017年に中村さんを招いた。鈴木啓子会長は「講演の感想を書いてくれた子どもに返事を書くと住所を聞いていた。とても謙虚で素晴らしい人だった。ノーベル平和賞にもふさわしかった」と悲しんだ。

 

沖縄キリスト教学院大学の沖縄キリスト教平和総合研究所は今年9月、設立10周年記念特別講演会で中村さんを招いていた。内間清晴所長は「医療活動をしながら、自ら学び井戸を引くなど医師の枠を超えていた。『寄り添う』を超え、現地の人々と共に生きていた」と残念がった。

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