14年9月、目の難病患者にiPS細胞を使った網膜移植手術が行われ、成功した。これは史上初の快挙で、世界中に大きな驚きとともに報道された。
プロジェクトを率いたのは、眼科医で研究者の高橋政代さん(58)。偉業を成し遂げるまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。しかし06年から、理化学研究所で多くの患者の気持ちを胸に研究に励んでいた彼女はついに手術を成功させたのだ。その果敢な行動力から“日本のキュリー夫人”、“ブルドーザーに乗ったサッチャー”等と称えられることとなった。
そんな高橋さんは、大阪府豊中市の生まれ。
両親の意見も汲み取って京都大学医学部に進学した高橋さんが眼科医を志した当時、胸にあったのは決して前向きな理由だけではなかったと語る。
「やはり母親から、『いずれ家庭を持って、子供を産むんだよ』とも言われてきたので、眼科ならば家庭と両立できそうかなと。このころは、何かを成し遂げようという野心もなかったです。ただ、授業や実習で目の中を顕微鏡で覗くと、ピカピカでオレンジ色の網膜があって。その小宇宙のような美しさと神秘に惹かれたのもあります」
その後、同じく医師の夫と結婚し、2人の娘も誕生した。仕事に全力で取り組むためにも、早く結婚して私生活を安定させたかったと語る。
「このまま子育てをしながら、いずれ町の目医者さんになるんだろうな……」
育児と仕事に追われ、睡眠時間を削りながら、ぼんやりと将来像を思い描いていた高橋さんに転機が訪れる。
夫のアメリカ留学が決定し、同伴した先のソーク研究所で、網膜移植技術による目の難病の治療法を閃いたのだ。
帰国し京大から理研に移り、研究を続けた。iPS細胞を開発した山中伸弥教授(57)に理想を打ち明け、提供してもらい数々の障壁を乗り越えた高橋さんが全世界に称えられる偉業を成し遂げたのは14年のこと。
しかし、高橋さんはそこで立ち止まることはなかった。
今夏、高橋さんにはもう1つの肩書きが加わった。
理研をやめて、「ビジョンケア」という再生医療研究などを行う企業の社長に就任し、周囲を驚かせたのだ。起業の理由について、高橋さんはこう語る。
「60代を目前に、自分に残された時間を考えての決断でした。世界初の手術を成功させたといっても、まだライト兄弟が初めて空を飛んだ時くらいのレベル。費用も5千万円以上かかります。このコストを下げて、多くの患者さんが同様の手術を受けられるようにしたいと考えての、会社設立でもありました」
人生プランにも若干の軌道修正が行われた。かねて、高橋さんは「65歳引退」を公言してきた。
「精一杯走り続けて、医師、研究者として65歳くらいが潮時かなと。ただ、ここにきて会社を作ったので、少し伸びたかもしれません。引退後は、家のことをやってみたいです。庭の手入れとか、孫ができたら、その世話とか」
リタイアまでの年数は、少し伸びた。しかし、のんびりやろうとは毛頭考えていないと語る高橋さん。
「ガンガン前に進んでいるライブ感が好きなんです。フフフ」
そう言うや、白衣から女性社長らしいスーツ姿になり、高橋さんは次の打ち合わせの会議室へと駆け込んでいった。