国民の幸福を祈り、悲しみに寄り添いながら、昭和から平成と伝統と革新の歩みで邁進されてきた上皇陛下の傍らには、いつも皇后として支え続けた美智子さまがいらした。ご成婚後、60年に及ぶお二人の道のりをたどりたい。
19年5月に『上皇后陛下美智子さま 心のかけ橋』を出版したメディアプロデューサーの渡邊満子さん(57)は、4月に御所に伺ったときに美智子さまのこんな言葉を聞いた。
「私は、5月まで、自分の体がもつかどうか心配なのです。でも、5月まではなんとかと思っておりますけれども」
陛下のご譲位まで後1カ月という張りつめた時期でもあった。
「その後に乳がん、白内障の手術があったことを考えても、また2度のお引越しも控えていて、お疲れも極限状態だったと思います。しかし、そんななか、こう言葉を続けられたのでした」
美智子さまは、おっしゃった。
「陛下のお心とお体のお疲れを総合的にわかるのは、私しかいなかったから……」
渡邊さんは、ご夫婦の絆の深さを改めて知らされたという。
「それは、『譲位のあとも、私が陛下のおそばでご健康を見守っていきます』という決意のお言葉だったと思うんです。その証拠に、譲位後に乳がん手術を終えると、わずか2日で退院なさいました」
ご成婚前、美智子さまは、陛下の「家庭を持つまでは絶対に死んではいけないと思った」というお言葉に、これまで読んだどの小説の中にも「このように寂しい言葉はなかった」と思われ、「力を尽くしてあたたかいホームを作ろう」と心に誓われた。
その後、お子さまが誕生してからも、乳人制度を廃止して、ご自分で子育てをするなど、公務でもご家庭でも、ときに周囲の反対や軋轢と闘いながら、ご自分たちのスタイルを大切になさってきた。
「美智子さまは、お子さまが赤ちゃんのころ、夜泣きすると、納戸のようなお部屋であやしながら、一晩をお過ごしになったこともあったそうです。ご自分たちの道を選択するというのは、その責務も背負うことですね。そんなとき、上皇さまと上皇后さまは、同志として支え合ってこられたのです」
母として、また妻としての心配りと実践も、美智子さまらしく、ひたむきでいらしたという。文学を通じて30年以上の親交がある絵本編集者の末盛千枝子さん(78)は続ける。陛下に前立腺の病気が発見された03年ごろの電話でのことだ。
「お医者さまに生の玉ねぎがいいとアドバイスされたそうなんですが、美智子さまが、『そんなに生で食べられるかしら』とおっしゃって。ちょうど、地元の盛岡のおそば屋さんに“オニオンそば”という名物があったんです。その話をしましたら、とてもご興味を持たれたんです」
早速、作り方の説明をする末盛さんだった。
「玉ねぎのスライスにかつお節をふって、味ぽんなどをかけて召し上がるとおいしいですよ」
「えっ、味ぽん!?」
驚いたような口調で返ってきたという。
「“味ぽん”を、初めてお聞きになったご様子でしたね。私もちょっと驚きましたが(笑)。でもその後には、その盛岡のそば屋さんから直接レシピを取り寄せお送りするなどして、お手伝いしました。そこまで陛下のお体を気遣っていらっしゃるのだと知って、また驚いたからです」
ここ数年、美智子さまがお好きだとおっしゃる言葉がある。
《静かに行くものは 健やかに行く 健やかに行くものは 遠く行く》
イタリアの経済学者の言葉だそうだ。親しく交流のある末盛さんも、渡邊さんも口を揃えて言う。
「いまのご自分の思いと、相通じるところがあるのではないでしょうか」
「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載