矢野孝子さん(72)は、大阪の中津エリアを中心に、11棟の高層マンションを所有する「北村」ほか、グループ会社5社の代表取締役社長を務めている。事業は全て順風満帆。会社の総資産は150億円余! さらには、一般財団法人「南蛮文化館」の館長で、宗教法人「穂積山心願院」院主、住宅型有料老人ホーム「シニアスタイル尼崎」のオーナーでもある。
「人生を謳歌されているのでしょうね」という記者のぶしつけな問いに、大きな椅子に身を沈めた孝子さんは、小首をかしげて、独り言のようにこう答えた。
「いくらお金があっても、幸せ、ちゃうねん。でも、不幸せともちゃうねん」
孝子さんは、結婚経験がなく、子供なし――。今は、母たちと囲むささやかな夕食が楽しい。そう語った孝子さんの半生を辿ろう。
孝子さんの旧姓は北村だ。北村家は、枯山水を配した千坪もの敷地に650坪の本宅と350坪の離れが並び立つ旧家だった。父は、13代続く大庄屋の家系だ。孝子さんたち姉妹を溺愛しつつも、しつけには厳しい人だった。
父が定めた門限は、高校で6時。大学生でも夜8時。そんな中での、初めての恋人は、1歳下の軽音楽部の旧府立大生だった。デートは、もっぱらドライブだ。しかし、外泊は一度もしていない。
「夜10時ごろに家に帰ると、玄関で母親が待っていて『お父さんが怒っているよ。なんで一言、電話してこないの?』言うて。男性と付き合うてるなんて言ったら『もう外へ出るな』て言われます(苦笑)。桃山台の学生ともデートしたけど、本気で結婚を考えたのは、府立大の彼だけでした」
しかし、両親は「養子じゃないとダメ」と譲らず、破談になった。
「北村家に生まれた宿命ですね。頭が良くてイケメンで、ええ人やった。その人と別れたことが、学生時代でいちばんつらいことでした。その人、私と別れた後、頑張って、誰でも知ってる有名な会社の社長になりましたよ。私の男を見る目、案外いいでしょ(笑)」
70年、大学を卒業した孝子さんを待ち受けていたのは、お見合いの嵐。16回ものお見合いを繰り返した。
「『こんなん疲れたわぁ』と思うこともあったけど、北村家と南蛮文化館を守って欲しいという父の思いはわかっていましたから、お見合いを続けたんです。でも、悲しいかな、子宮筋腫を発症して。私のお見合いは16回でピリオドが打たれたのです」
29歳の暑苦しい夏のことだった。入院し、手術を受けた孝子さんは、翌日、見舞いにきた妹から残酷な事実を告げられた。
「お姉ちゃん、握りこぶしみたいなのが2つと小さいの、全部で3つもあったんよ。だからね…」
筋腫があまりに大きすぎ、子宮を全摘出されていたのだ。
「え~っ!」
悲鳴のような声をあげたきり、孝子さんは病室で泣き続けた。
「子供を産めない体になってしまった。今の医療なら子宮を残せたかもしれませんが、当時は、その技術がなかったんでしょう。北村家の後を継ぐという私の使命は、この時点で終わりです」
その夜、目尻から再び涙がにじみ出た。そして思った。
「私も……ダメだこりゃ、だよね。もう、結婚もせんとこ」
それから9年後、養子を取って結婚した妹の倫子さんが、玉のような男の子を産んだ。
「妹のベッドを挟んで、大喜びする両親を見て、私も本当に嬉しかった。『これで北村家も安泰や』と、年寄りみたいやけど、思いました」
それからも孝子さんは、親族の介護に相続問題や、父が亡くなった後の事業の継承に奔走することになる。
常に、自分ではない誰かのために動いてきた。父のため、家族のために尽力して、今になってようやく自分らしいシングルライフを満喫している。
「この人生でやり残したことは、ただ1つ。結婚して、子供を産みたかった」
今の楽しみは、母と妹夫婦とともに食卓を囲むこと。それから自宅に戻って、一人静かに焼酎を飲む。それがいちばんゆったりできる時間なのだと、孝子さんは語った。
「女性自身」2020年2月25日号 掲載