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「ちょっと病み上がりな感じで、顔がむくんだりしていていいのかな、と思いながら、でも本当にたくさんの方に励ましていただいたので、ありがとうという気持ちを伝えたかった」

 

シンガー・ソングライターの岡村孝子(58)は、2月18日に放映された『ノンストップ!』(フジテレビ系)で、10カ月ぶりにカメラの前に姿を現した理由について、そう語った。“OLの教祖”とも呼ばれた彼女が、昨年4月に急性白血病であることを公表し、ファンたちに大きな衝撃を与えた。

 

岡村自身も病名を知らされても、しばらくは信じることができず、病気に向き合うことができなかったという。そんな彼女に生きる力をよみがえらせたのは現在大学生という長女(22)の懇願だった。『ノンストップ!』で岡村は、長女からのいたわりと励ましについてこのように語っている。

 

「しっかりと娘が先生の話も聞いてくれて、図書館で治療の文献を調べてくれていました。私には『疲れていたんだね』『ストレスも多かったかもしれないのに気がついてあげられなくてごめんね』と泣いて……。そして『私のために治療してほしい』と、言われました」

 

病名公表の直後、本誌は愛知県内に住む岡村の実弟に取材しているが、家族からのサポートについて、こう明かしていた。

 

「姉はいま、無菌室に入っています。母と姉の娘がそばについているのですが、母はもう年も年ですから……」

 

おそらく無菌室での看病の中心になっていたのは長女だったのだろう。岡村は’97年にプロ野球選手だった石井浩郎氏(55)と結婚したものの、’03年に離婚。シングルマザーとして生きる道を選んだ。それ以来本誌は幾度か岡村をインタビューしているが、そのたびに、彼女はひとり娘との絆を語ってくれていた。

 

《(離婚して)東京から郊外に引っ越したのですが、その夜、星がとてもキレイだったんです。幼かった娘と、それを眺めながら『これからどうなるんだろう』と、不安に思う一方で『これからがんばろう』という希望も、なぜかあって。そのときつないでいた娘の手の温もりは、今も忘れられません》(’13年5月7日号)

 

《ツアーなどで昼間一緒にいられなかったりすることもあるので、毎朝、学校に行く途中まで子供と手をつないで歩くことにしています。(中略)シングルマザーだから“2人分”の愛情を、と考えたことはないけれど、娘が帰ってきたときは『会いたかった』とギュッと抱きしめたり》(’05年3月29日号)

 

22年間手を取り合って生きてきた岡村と長女。そんな愛娘の“生きてそばにいてくれるだけでいいから”という言葉が、岡村の胸のなかに白血病に立ち向かう意欲を燃え上がらせたのだ。

 

昨年9月に退院してからも、毎日3千歩ほど歩くなど、いまもリハビリを続けている岡村はインタビューの最後に、「もう少し暖かくなったら、トーク1時間、歌3曲ぐらいのイベントができたらいいな」と、語っていた。

 

“ファンや娘のために、もう一度歌いたい!”、そんな岡村の願いがかなう日も遠くはないだろう。

 

「女性自身」2020年3月10日号 掲載

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