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「そう思うと、せめて親父には、『あなたの孫も役者になりました。結局、3代続きましたよ』と伝えたかったですね。役者の宿縁ですか。昔なら全否定していたかもしれませんが、今は、日本人が好きなブラッドタイプ(血液型占い)よりは何かあるかなと感じていますね」

 

そう、ぼそりと呟いたのは俳優の佐藤浩市さん(59)。“怪優”と呼ばれた父・三國連太郎さん(享年90)との関係について、こぞって“確執”と報じられていたが、不仲ではなかったと語る。

 

三國さんと佐藤さんが初共演した映画『美味しんぼ』公開のあとに、結婚した妻との間に長男の寛一郎さん(23)が誕生。意外というしかないが、家庭人のイメージからは最も遠いはずの三國さんは孫を溺愛するようになり、このころから“十国峠の別れ”を経た息子・佐藤さんとの親子関係も如実に変化していく。

 

そんな、親子2人の関係に一石を投じた寛一郎さん。三國さんが急性心不全で亡くなった際、葬儀には、当時高2だった寛一郎さんも遺影を持って参列した。

 

昨年、木村拓哉さん(47)主演で話題になったドラマ『グランメゾン東京』(TBS系)に料理人役で出演し、一躍有名になった俳優・寛一郎さん。華々しい受賞歴もある。

 

「受賞の報せを耳にしたときは、すぐにLINEで“おめでとう”と送りました。ええ、一応、坊主(寛一郎さん)とはLINEでつながっています」

 

ちょっと照れ臭そうに話す佐藤さん。寛一郎さんが役者を目指すと話した時に『それで食えなくてもしょうがないと思え』と言葉をかけたというが、寛一郎さんはキャリアを重ねている。18年に公開されたデビュー映画『菊とギロチン』で、寛一郎さんは、第92回キネマ旬報ベスト・テンの新人男優賞を受賞。

 

「ただし、賞は未来の約束ではないですからね。その時は喜んでもいいけど、2日たったら忘れたほうがいい。坊主自身に向かっては言いませんが、僕の思いはわかっているんじゃないでしょうか。もし三國が生きていて受賞を知ったら?喜びはするでしょうが、彼は基本。人の作品には悪口しか言わないですから(笑)」

 

佐藤さん自身も、『64・ロクヨン』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。昨年1年間だけでも、『記憶にございません!』や『楽園』など6本の話題作に出演し、「映画の人間としてやっていきたい」という言葉を実践してみせている。

 

そして、プライベートでは12月に還暦を迎える。

 

「あまり意識はしていません。健康法は、ゴルフかな。体のことは女房が気を配ってくれますから、感謝です。自分で料理? やりますよ。僕は決して、人がいないと生きていけないというタイプじゃないですから。ササッと自分の酒のアテくらいは作ります」

 

それは、やはり高校生から自活していた影響か、と問えば、

 

「うん、そうだね。16歳からの一人暮らしもそうだし、いろんなバイトもして、自然に自分で生きていくすべが身につきました」

 

それから、また繰り返す言葉があった。

 

「僕は人がいないと生きていけないタイプじゃないから――」

 

その佐藤さんが、父親の三國さんが成し得なかった穏やかな家庭を妻子とともに築き、新作『一度も撃ってません』では、早々と寛一郎さんと父子共演を果たす予定だ。そこには、父親として、2代目役者としての思いやりと覚悟がある。

 

常に辛口だったという祖父の三國さんは、息子と孫の共演ぶりを、さて、どう評するのだろうか。

 

「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載

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