4月23日に新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった岡江久美子さん(享年63)。3日に発熱し、自宅で静養していたという。だが、6日に容体が急変。都内の病院に緊急入院してPCR検査を受けた結果、陽性と診断された。その後もICUで人工呼吸器をつけての懸命な治療が続けられたが、帰らぬ人となった。
岡江さんは’75年、18歳で女優デビュー。TBS系昼ドラ『天までとどけ』シリーズなどで主演を務め、世間に知られることとなった。プライベートでは、’83年に大和田獏(69)と結婚。芸能界きってのおしどり夫婦として知られてきた。
また’96年からは『はなまるマーケット』(TBS系)の司会として、薬丸裕英(54)とタッグを組んだ。持ち前の明るさがお茶の間で人気となり、番組は17年半も続いた。いつも明るく、周囲を元気にしてくれたという岡江さん。だがその陰で、彼女は数々の苦難とも闘い続けてきた。
「’09年に岡江さんの実母が骨折。それをきっかけに、介護生活が始まりました。当時の彼女は『はなまるマーケット』で超多忙でしたが、毎日、お母さんのもとへ食事を作りに行っていました。’14年3月に『はなまる』は終了。少し負担が減ったのですが、今度はお母さんが認知症を発症。近所の老人ホームに入りました。そこにも岡江さんは毎日のように通い詰め、支え続けていました」(芸能関係者)
’17年に実母が94歳で亡くなるまで、介護生活は8年に及んだ。岡江さんは61歳になっていた。悲しみを乗り越えようと、彼女はこれまで以上に“自分の時間”を大事にするようになった。
「岡江さんは『60代なんてまだ若い! 私もまだまだ頑張らなくちゃ』なんて言っていました」(前出・芸能関係者)
人生は、まだこれから――。そんななか、昨年12月に乳がんが見つかったという。岡江さんが所属していた「スタッフ・アップ」の代表取締役・戸張立美氏(70)はこう明かす。
「ある日、彼女が『実は、初期の乳がんで。昨年の12月に手術をしてきたんだ』と言うんです。放射線治療もやっているとのことでした。でも『本当に初期の初期だから大丈夫』とあまりにも軽い感じで伝えてくるので、私も心配していませんでした。当初は、獏ちゃんにも伝えていなかったなんて話も聞いたくらいです。世間に発表するかどうかも相談したのですが、『岡江久美子は元気なキャラ。だから、わざわざ公表しないほうがいいよね』ということになりました」
つらいときこそ、岡江さんは気丈に振る舞っていたという。
「彼女は昔から、弱音を吐いたりしませんでした。介護のときもそうです。当時は『はなまる』が終わると、すぐにお母さんのもとへ行っていました。本当に大変だったと思うのですが、つらさをまったく表に出さないんです。むしろ、これまで以上に元気だったりしてね。彼女は、そういう女性なんですよ」
1月末から2月中旬にかけて放射線治療を行った岡江さん。だがめげることなく、人生を楽しもうとしていた。
「2月末には、友達と沖縄に行っていたみたいです。彼女は旅行が好きで、時間があればすぐフラッと出かけちゃうんですよ。獏ちゃんや娘の美帆ちゃんとも、ことあるごとに海外旅行へ出かけていました。旅先での思い出は笑い話ばかり。’15年には夫婦でイタリアに行ったのですが、そのときも獏ちゃんが財布を盗まれた話をしてくれました。『お前はズボラだから気をつけろと注意してきたのに、自分が盗まれて』なんて言って、ずっと笑っていました」
そんな岡江さんは生前、夫と“ある約束”を交わしていた。『婦人公論』’14年5月7日号で、彼女はこう語っていたのだ。
《夫は、一緒にインドに行きたいとか、船旅もいいねなどと言いますが、体力があるうちは、私は船旅はちょっとお預けかな。旅の間あれもこれも見たい性分なので、時間を持て余しそうです。夫に「船旅は還暦過ぎたらね」と申し伝えました。(笑)》
しかしそのクルーズ旅行の約束は無念にも、永遠に果たされなくなってしまった――。
「女性自身」2020年5月12・19日合併号 掲載