米軍撮影のフィルムに映る震える少女(沖縄公文書館提供) 画像を見る

 

沖縄戦の記録映像で映し出される「震える少女」として本紙に名乗り出た浦崎末子さん(82)の自宅を男性が訪ね、証言をとがめるような言葉を投げ掛けていたことが25日、関係者への取材でわかった。浦崎さんはこの一件以来、外部との接触を控えるようになったという。座間味村での「集団自決」(強制集団死)の証言者らにも同様の接触があったことも判明。沖縄戦の継承が課題になる中、証言を封殺する動きに識者は「証言者の萎縮、戦争の教訓継承の妨げになりかねない」と警鐘を鳴らしている。

 

浦崎さんの親族によると、浦崎さんの自宅に男性が現れたのは昨年8月ごろ。ドアを開けて応対した浦崎さんに「あなたが浦崎末子さんか」と尋ね、いきなり「どういうつもりか」と詰め寄った。

 

本紙は昨年6月23日付朝刊で、米軍撮影の記録映像に登場する「震える少女」として浦崎さんが名乗り出たと報道。男性と面識がなかったことから浦崎さんは「新聞に出たことをとがめられた」と感じた。周囲に「恐ろしかった」と話し、以降、来客を断ったり外出を控えるようになったという。親族は「沖縄戦のことを振り返るのも嫌がるようになった。(その男性には)彼女(浦崎さん)の体験を広めたくないという思惑があったように感じる」と振り返る。

 

沖縄戦の証言を封じ込めるような動きは過去にもあった。座間味村での「集団自決」(強制集団死)について、母親の手記をまとめた沖縄女性史研究家の宮城晴美さん(70)は、電話や手紙による嫌がらせを受け、自宅にも押し掛けられた。

 

宮城さんの著作は、作家大江健三郎さんの「沖縄ノート」(岩波書店)での「集団自決」(強制集団死)の記述を巡り、元戦隊長らが2005年に訴訟提起した「大江・岩波裁判」で、「戦隊長の命令がなかった」とする原告側の主張に沿うものとして取り上げられた。宮城さんは原告側の取り上げ方が意図に沿わないとして、「軍命令・強制の存在」を示した著作の新版を発表するなどした。

 

こうした動きに反発したとみられる元戦隊長の支持者が、06年6月から7月にかけて宮城さんの職場に「(宮城さんを)すぐに辞めさせろ」と電話を掛け、元戦隊長への謝罪を要求する手紙を送付した。

 

14年8月には、元戦隊長の死去を受け、女性ジャーナリストらが宮城さんの自宅を訪れた。「メッセージ」と称して元戦隊長が泣く映像を見せ、同行した男性が「また(本を)出したら許さん」と詰め寄ったという。ジャーナリストは本紙取材に、訪問の趣旨を「取材」とし、「映像を見せたことに深い意味はなく、成り行きだった。脅しなどありえない」とした。宮城さんは「何が何でも黙らせたいという意図を感じた」と証言した。

 

高校日本史教科書の沖縄戦に関する検定意見撤回を求める県民大会が開かれた07年9月には、座間味村での「集団自決」(強制集団死)の生存者の自宅に黒ずくめの男性2人組が訪れ、「(集団自決の)現場にいたのか」と迫った。「話す気はない」と追い返したが、恐怖心が残ったという。「脅して黙らせようとした。許せなかったが、相手を刺激しないよう公表を控えた」と当時の心境を明かした。
(安里洋輔)

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