画像を見る

「発症当時よりもいまのほうが、コロナの後遺症の恐怖が強くあります。血栓による脳梗塞の話など、さまざまな情報が更新されてきましたから……。私自身は軽症で終わったため、薬も出ず、直接、医療機関での診療を受けていません。コロナの感染が落ち着いたら、肺のCTを受けるなどして、自分自身の体の状態を確認したいと考えています」

 

そう語るのは、昨年11月に新型コロナウイルスに感染した女優の川上麻衣子さん(55)だ。

 

「昨年3月、親交のあった志村けんさん(享年70)が新型コロナで亡くなりました。それまで、どこか遠いところの出来事だと思っていたコロナを、急に身近に感じるようになったのです。それから、うがい、手洗い、マスクなど、一般的な感染対策に加え、次亜塩素酸水を使った加湿など、対策には気を使ってきました。しかし、そんな生活が長引くにつれて、気の緩みもあったのかもしれません。マスクを外して食事しているときに、スタッフと会話してしまったり……。会食もともにしていた近親者より、11月4日に『発熱した』と連絡があったときも、単なる風邪だと思っていました」(川上さん・以下同)

 

その翌日、川上さんは主演ドラマの撮影のため、大阪へ移動した。

 

「夜に到着しましたが、なんとなく体がだるくて、食事もしないでそのまま寝てしまったんです。ここでも“移動の疲れかな”と考えていたんですね」

 

だが、心に引っ掛かりはあった。撮影初日となる11月6日の朝、体温計を買って検温をした。

 

「平熱でしたので安心して、夜まで撮影をしました。体調の変化はなかったんですが、ロケ弁当がひどく塩辛く感じたんです。いま振り返ると、コロナによる味覚障害だとわかりますが、そのときはコロナで味がなくなることはあっても、過敏になることはないと思っていました」

 

その晩から発熱し、体の節々の痛み、悪寒、疲労感におそわれた。プロデューサーに体調を報告し、7日の撮影を休みにしてもらった。

 

ホテルで待機しているタイミングで、東京の保健所から「濃厚接触者なので、2週間、外出を控えてください」と連絡があった。発熱を伝えてきた近親者の陽性が先に確認されたのだ。

 

「私もPCR検査を受けたかったのですが、発熱していたので、受け入れてくれる病院がなかなか見つかりませんでした」

 

ようやく探し当てた医療機関でPCR検査を受け、大阪の滞在先ホテルで結果を待った。

 

「起きていると熱が下がって、横になると上がる感じ。39度は超えませんでしたが、38度をいったりきたりでした」

 

11月11日、数回の再検査を経て、陽性が確定した。保健所の車が迎えにきて、陽性者が療養するための別のホテルに移動となった。ホテル内は、大量の陽性者で“密”な状況だったという。

 

川上麻衣子語るコロナ闘病生活「味覚異常で水すら塩っ辛かった」
画像を見る 1日3回、ロビーの棚に置かれた弁当をとる。この時間は宿泊者で密になるという。

 

「さまざまな場所で人とすれ違うことがありましたが、互いに気を使って、顔を見ないようにうつむいていたり、『おはようございます』のあいさつもありません。部屋も狭く、誰とも会えず、孤独でした」

 

保健所から電話があり、過去2週間に、誰と会い、どのような距離で話したかなど、2時間に及ぶ疫学調査を受けた。

 

「対策していたつもりでしたが、撮影中にマスクなしの状態でメークさんと会話していたり……。『そのときマスクはしていましたか?』という質問を何度もされ、マスクの大切さが身に沁みました」

 

一方、発熱はあったものの、ほかの症状は軽かった。

 

「ただ、深く息をするとせき込んでしまうので、深呼吸できない状態でした。そーっと、気をつけながら呼吸をして……。施設の受付に1個だけおいてあったパルスオキシメーターでときどき血中の酸素濃度を測って、その結果にほっとしていました」

 

味覚異常のために、食事が塩辛く感じて、ほとんど食べることができなかった。

 

「水すら塩っ辛いんですね。シャンプーの匂いがしないことで、嗅覚の異常にも気が付きました」

 

11月14日、3日連続で発熱せず、発症から10日たっている(大阪の基準)ことで、3泊4日の療養施設での生活が終了。ようやく東京の自宅に戻ることができた。

 

「味覚が戻ってきたのは、東京に戻って3日目くらい。シャインマスカットを食べたときの、みずみずしさと甘さが忘れられません」

 

その後、嗅覚障害の回復までには1カ月も要した。後遺症の不安はいまも消えない。

 

「女性自身」2021年2月23日号 掲載

【関連画像】

関連カテゴリー: