「そろそろミルクかな」
都内のホテルの一室。泣きだした赤ん坊にパパが駆け寄り、ベビーカーごとゆっくり前後に揺するが、泣きやまない。そこへ、
「チビちゃん! どうしたの。ママはここにいるからね」
隣室で取材のためのメークの最中だったママからの声が届いた途端、ピタッと泣き声はやみ、とびきりの笑顔に。
ママの小松みゆきさん(50)は90年代にグラビアで人気を博し、その後は女優として活動を続けるなか、40代初めから不妊治療をスタート。今年2月に念願の長女を産んだときには、超高齢出産ギリギリの49歳8カ月だった。
ブログやSNSなどを通じて、自身の不妊治療の体験を発信し続けてきたが、出産後は多くの祝福コメントが寄せられると同時に、社会的なニュースにもなった。高度不妊治療を7年間、顕微授精14回、転院7回、総額1,000万円という不妊治療の長い苦難の道のりを経て、小松さんにはどうしても伝えたいことがある。
「最初に訪れたのは、産婦人科がメインの町のお医者さん。私一人で行き、女性ホルモンの値を検査したりです。その後、主人のほうも精子の状態を調べました。結果は、夫婦共に“問題なし”。つまりは、私が高齢であることが主な原因とわかるんです」
その後、半年ほど人工授精を繰り返すが成功せず、15年1月、43歳にして初めての体外受精へ。
「私は舞台の合間を縫って、生理から排卵までの10日ほど、毎日注射と薬を服用する生活でした。採卵も、最初のころは全身麻酔でした。ですから、夫に送り迎えをお願いしたり。私は役者で少しは融通も利きましたが、夫婦で会社員の方などは、時間調整がつかずに転職したといった話も届いていました」
時間の問題に加えて、当時のブログには、《体外受精、お金がかかります》の記述も。
「最初は自分の貯金を取り崩していた感じでしたが、やっぱり、すぐに底をついちゃうんですね。年間にすると何百万円単位ですから。夫もまた、いろんなことをセーブしていたと思います。唯一の趣味の車や、仕事にも関わる洋服も我慢してくれているようでした」
1回目の体外受精では2個の受精卵を子宮に戻したが、成功せず。2回目も同様だった。
「私自身、病院を変えたり、いまはネットで医学論文まで読めますから、そうした情報を集めては疑問を先生にぶつけたりしているうちに、あることに気づくんです。それは、特に私のような高齢の場合、最初から不妊治療の専門病院に行くべきだったということ。無知ゆえに、要らぬ時間とお金を使ってしまったのではないか。ほかのご夫婦に同じ轍を踏んでほしくないとの思いから、ブログでの記述も自然に詳しくなったかもしれません」
その後も、治療は続くが、
「また流れちゃった─」
着床を告げられ喜んだのもつかの間、7~8週目で流産となり落胆する日々が積み重なっていく。