「糖尿病も抱えていましたが、ここ5年は薬も合っていて、病気をコントロールできていました。ですので、急な死に義母もかなり落ち込んでいるようです。死に顔は寝ているみたいに穏やかな表情でしたね。遺骨は都内にある一族のところに入ります。遺書も用意していたようで、今後のことは落ち着いてから家族で話をする予定です」
臨終の様子をこう語るのは、小林亜星さんの次男・小林朝夫さん(60)。5月30日に亡くなっていたことが発表された亜星さん。死因は心不全で、88歳だった。
穏やかな表情だったという朝夫さんの言葉どおり、直前まで元気な姿を見せていたという。
都内にある亜星さんの自宅近くに住む住民は言う。
「亡くなった当日の早朝に亜星さんがコンビニで買い物をしていたと聞きました。今の奥さんの早苗さんとは天気のいい日に近くの公園で散歩している姿をよく見かけました。このあたりで亜星さん夫婦のことを悪く言う人は一人もいませんよ」
前妻との間に誕生した朝夫さん。亜星さんの死後、初めてのインタビューに本誌を選んだ“奇縁”についてこう明かす。
「私がまだ幼なかったころ、電車の中吊りで女性自身さんが父の離婚について報じていたのを見たんです。なので、今回は父らしい面白いエピソードで見送ってあげてほしいなって」(以後、「 」内はすべて朝夫さん)
実母と離婚した後も、亜星さんと朝夫さんの親子仲は変わることなく良好だったようだ。
「ふだんから交流はずっとあり、父が『ちょっと出てこいよ、飯行こうよ』って連絡をよくくれて。父はいつまでも現役で、80歳を過ぎても食欲は衰えなかったですね。最後に会った半年ほど前も焼き肉に行きました。
以前は銀座のバーに週5で通って、朝まで飲むなんてしょっちゅうでしたよ。80歳を過ぎてからは『さすがに体力が落ちて週に4回しか行けない……』って嘆いてました(笑)」
亜星さんは昭和を代表する作曲家として、これまで8千曲以上もの楽曲を手がけてきた。代表作の一つであるレナウンのCMソング『イエイエ』の制作秘話を朝夫さんは明かしてくれた。
「私がまだ幼稚園のころ、父が家のピアノの前でずっと『イエイエ~』って言っているんです。ピアノの前から一切動かず、着替えもせずに3日くらいかかってあの曲を完成させていました。幼な心?に『仕事熱心だなぁ』と思ったことをよく覚えています」
都はるみの『北の宿から』など、多くの歌手にも楽曲を提供した亜星さん。’95年放送のドラマ『刑事 蛇に横切られる』(NHK)の主演であり、亜星さんが作詞作曲を手がけた主題歌も歌った高倉健さん(享年83)との“驚きの交流”を朝夫さんは目撃していた。
「25年くらい前の夏に、父から『千葉の別荘に連れていきたい人がいる』と言われて、車で迎えに行って現れたのが高倉健さんでした。健さんが海パンを忘れてしまって、父と3人で近所の『しまむら』まで買いに行ったら、お店にいた人たちは全員固まっていましたね(笑)。
夜に別荘のテラスで花火をしていたときに、大きな流れ星が流れたんです。そしたら健さんが花火を持ちながら『俺たちは戦争の爆弾で死ぬかと思ってたけど、生きてこれて。俺は俳優やって、亜星さんは作曲家で。2人とも成功して、こうしていられるの幸せじゃない?』って言っていて。まるで映画のワンシーンのようでした」