住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、あこがれていたアーティストの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょう――。
「’80年代を象徴する女性アーティストとして、杏里さんを思い浮かべる人は多いはず。とくに、それまでとは異なった感性が注目された、’60年代前半~半ば生まれの“新人類”世代にとって、ドンピシャなのではないでしょうか」
そう話すのは世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。
幼いころからピアノを習い、ユーミンや尾崎亜美のファンだったといわれる杏里は、その尾崎が手がけた『オリビアを聴きながら』(’78年)でデビュー。ロサンゼルスでレコーディングしたこととあいまって、本格派アーティストとして脚光を浴びた。
「デビューは16歳ですが、むしろ当時のほうが大人っぽく、“聴かせるバラード”の歌手としての印象が強くありました。それが’80年代に入ると、アップテンポでポップな『コットン気分』(’81年)、『CAT’S EYE』『悲しみがとまらない』(ともに’83年)と曲の幅を広げ、ヒット曲を連発するようになったのです」
注目されたのは、歌ばかりではない。
「スラリとしていて、脚も長く、輝くようなワンレンヘア。そのビジュアルにも“かっこいい女性”の要素がつまっていました」
’86年に男女雇用機会均等法が施行されるなど“女性の自立”の機運が高まっていた時代。
だが、実際に社会が変わり始めるのは’90年代後半からで、職場ではまだ当たり前に“女性社員はお茶くみ”と決めつける古い慣習が続き、閉塞感が漂っていた。
「そんな時代に、歌って、踊れて、スタイルも抜群で、ミュージックシーンの最前線で活躍する杏里は、バリキャリ志向の女性たちのあこがれでもありました」
花王のCMに起用された『思いきりアメリカン』(’82年)は失恋ソングだが、その歌詞も曲調も決して暗いものではなかった。
「彼氏と別れ、サンタモニカでひとり自由にバカンスを楽しむという前向きな内容。女性がひとり旅に出ようものなら、親の世代から“死にに行くのではないか”などと本気で心配されるような時代にあって、“いつかは、この歌のようにひとりで海外を旅したい”と夢を乗せた人もいたはずです」
杏里は’87年のアルバム『SUMMER FAREWELLS』からセルフプロデュースを開始。『NEUTRAL』(’91年)が初のミリオンアルバムとなり、’00年にはアメリカに移住している。
まさに“かっこいい女性”の生き方を体現しているのだ。