住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、毎日聴いていた音楽の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「幼いころから体が大きかったし、モーニング娘。時代も“カワイイ担当”はなっち(安倍なつみ)やかおりん(飯田圭織)。だからずっと“カワイイ”人に憧れているんです。今は橋本環奈ちゃんに注目していますが、その始まりはJUDY AND MARYのYUKIちゃん。私にとって“カワイイ”の極みです」
そう話すのは、モーニング娘。の創立メンバーだった石黒彩さん(44)。’90年代は「人生でもっとも濃い時間」だった。
生まれも育ちも北海道札幌市。幼稚園時代、オルガンを習い始めたことが音楽の原点だ。
「両手で演奏することができなくて、発表会では片方のパートをお母さんに弾いてもらって連弾しました。3曲発表するのですが、演奏は1曲だけで、残り2曲は歌。すると先生が『あなた、合唱をしたほうがいいんじゃない』とすごく褒めてくれて。それが歌手になりたいと思うきっかけでした」
『ミュージックステーション』(’86年~、テレビ朝日系)や『ポップジャム』(’93~’07年、NHK総合)などの歌番組は欠かさずチェックした。
「放送翌日は、歌番組の話題で持ちきりだったので、見逃すわけにはいきません。北海道でも放送されていた『ミュートマジャパン』(ミュージックトマトJAPAN・テレビ神奈川)も必ず見ていました」
音楽好きが高じて、中学2年生くらいから、ビジュアル系バンドを追っかけるバンギャルに。
「地元に1軒だけあった、ビジュアル系のインディーズバンドを扱うショップに出入りするように。GLAYやL’Arc~en~Ciel(ラルク アン シエル)がまだ前座の時代。メジャーデビュー前の黒夢のライブを、真っ黒な服を着て見に行ったりしていました。人気バンドのチケットを手に入れるために学校をサボって並ぼうとしたら、母が代わりに2時間並んでくれたことも。かなり過保護なバンギャルですよね(笑)」
高校の入学祝いとして、両親にベースを買ってもらった。
「うちの旦那(真矢・’00年結婚)がいるLUNA SEAのコピーバンドをしていました。いかにもビジュアル系なゴスロリ衣装を着ていたときもありましたが、当時はとにかく安室奈美恵さんが人気。私も日焼けサロンで肌を焼いて、細眉&スーツのアムラーになっていました」
そんな時期に出合ったのがJUDY AND MARYだった。
「私は顔がきついし、背も高いほうだったから、声も見た目もキュートなボーカルのYUKIちゃんは、なりたくてもなれない私の理想像。しかも同郷だから“北海道からでも有名になれる”と勇気づけてくれた存在でもありました」
ジュディマリのコピーバンドも結成したという。
「とくにアルバム『ORANGE SUNSHINE』(’94年)が大好きで、収録されていた『RADIO』や『Cheese“PIZZA”』、『小さな頃から』を練習していました。その後のヒット曲『そばかす』(’96年)や『くじら12号』(’97年)を含めると、全部で8曲くらい演奏しました」