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「(東日本大震災のときは)避難もされたのですか」

 

そう声をかけられたのは雅子さま

 

3月3日、天皇皇后両陛下は皇居・宮殿で「第61回農林水産祭天皇杯」の受賞者らと懇談された。そのなかには「農産・蚕糸」部門で受賞した福島県南相馬市の男性がおり、彼に対して天皇陛下と雅子さまは、冒頭のように大震災について聞かれたという。

 

今年も皇室にとって、そして日本にとっても「忘れてはならない日」が訪れようとしている。3月11日、東日本大震災が発生してから12年となるのだ。

 

2月21日、お誕生日に際しての記者会見に臨まれた天皇陛下はこう話された。

 

「今年は、関東大震災発生から100年を迎えます。日本では、古くは日本書紀に地震の記録があり、平安時代には三陸沖を震源とする貞観地震が発生した記録が残っているように、以前から大きな地震が繰り返し起こっています。平成23年に発生した東日本大震災は私たち一人一人の記憶に新しいところです」

 

大震災の発生後、天皇陛下と雅子さまは、被災した各地をお見舞いのため訪問された。皇室担当記者はこう語る。

 

「両陛下は避難所では床に膝をつき、被災者たちと目を合わせてお話をされていました。お年寄りには『失望しないで頑張ってください』『故郷に帰れるといいですね』、子供たちには『お元気ですか』『新しい学校でお友達はできましたか』……。

 

家族や家を失った被災者のなかには両陛下の優しいお言葉に、涙する人もいました。その涙は両陛下にとって、お心に刻み込まれているでしょうし、“震災の悲劇やあの方たちが流した涙を伝え続けていかなくては”と、誓われたことでしょう」

 

’21年3月11日に開催された「東日本大震災十周年追悼式」で、天皇陛下はこう述べられている。

 

「私も、皇后と共に、今後とも被災地の方々の声に耳を傾け、心を寄せ続けていきたいと思います」

 

“関東大震災のように100年後まで伝え続ける”……、いまも宮内庁のホームページを開くと、トップページに「東日本大震災関連」という項目が設けられているが、それも両陛下のお覚悟の表れに違いない。

 

そして今年6月、天皇陛下と雅子さまは、涙の記憶が薄れていない地をまた訪問される。

 

前出の皇室担当記者が続ける。

 

「6月4日に全国植樹祭が岩手県陸前高田市で行われ、両陛下が臨席されます。その会場は“奇跡の一本松”がある高田松原津波復興祈念公園です」

 

12年前、大津波が押し寄せた陸前高田市。市内では1550人が亡くなり、約200人が行方不明になった。江戸時代から長い年月をかけて育てられてきた松原には、7万本もの松があったが壊滅。

 

だが1本だけ残った松は“奇跡の一本松”と呼ばれ、そのたくましい姿は被災した人々の希望の象徴ともなったのだ。

 

「その後、海岸線が変わってしまったため、根が海水につかってしまい衰弱し、伐採せざるをえませんでした。しかし“一本松を失うことは津波に負けること”という地元の人々の思いは強く、表面を特殊な樹脂で保護するなどして、モニュメントとして復元し、保存しようと奮闘しているのです」

 

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