4月中旬の朝、愛子さまが乗られたミニバンが東京・目白の学習院大学キャンパスに入っていった。
この数日前の12日、今年度初めて大学に登校された愛子さま。報道陣に向かってこう述べられた。
「大学最後の1年間、この緑豊かなキャンパスで良い学びができましたらと思っております」
コロナ禍のために3年間も登校を自粛されてきたが、その日々を取り戻そうとするかのように愛子さまは連日、キャンパスに通われているという。
「4年生は就職活動もあり、午前中に登校する学生は少なくなりますが、愛子さまは朝からお見えになっています。それだけ卒業論文に熱心に取り組まれているということでしょう」(学習院関係者)
文学部日本語日本文学科に在籍中の愛子さま。宮内庁関係者はこう語る。
「天皇陛下の卒業論文のタイトルは『中世瀬戸内海水運の一考察』で、研究のために愛媛県など関係する地を訪問されたりと、かなり本格的でした。今後、愛子さまも“研究旅行”に赴かれることでしょう。実は、愛子さまの卒論執筆に大きく貢献すると目されている施設があるのです」
それが公益財団法人『静嘉堂(せいかどう)』の施設なのだという。
「静嘉堂は、三菱財閥の創設家のコレクションを基礎に発足、現在は20万冊の古典籍(※近世以前に出版された本や写本)と6500件の東洋古美術品を所蔵しています。
世田谷区岡本にある静嘉堂文庫は専門図書館として古典籍を研究者向けに公開しており、千代田区丸の内の静嘉堂文庫美術館では美術品を一般公開しています」
昨年12月に天皇皇后両陛下は静嘉堂文庫美術館で記念展示を鑑賞された。
「そして今年2月には両陛下がおしのびで同美術館をご訪問。さらに3月には、愛子さまもいっしょにご家族3人で、おしのびでいらしたのです。
天皇ご一家が短期間で同じ施設を何度も訪問されるのは極めてまれなことです。丸の内にあるこの美術館は皇居とは濠を隔てるだけの至近距離で、ご一家にとって居心地のいい、いわば隠れ家的な場所、オアシス的な場所ということなのでしょう」
実はご一家と静嘉堂文庫には、ご近所というだけではなく、古いご縁もある。
「“敬宮愛子”というお名前は『孟子』の『人を愛する者はいつも愛され、人を敬う者はいつも人に敬われる』という文章にちなんだもの。
3人の人物によって提案されたのですが、その1人が静嘉堂文庫長を務めていた漢字学者・米山寅太郎氏なのです。米山氏も名誉あるお仕事に関われたことを光栄に思っていたそうで、’07年に逝去した際には、両陛下が『命名のときはお世話になりました』と、弔意を伝えられました」
お名前どおり、“いつも愛される女性”に成長された愛子さま。ご縁のある専門図書館や美術館で重ねる研究により、どのような論文を執筆されるのだろうか。