桐島聡容疑者(警察庁のホームページより) 画像を見る

1970年代に起きた連続企業爆破事件の重要指名手配犯で、「東アジア反日武装戦線」のメンバーである桐島聡容疑者(70)を名乗る男性が亡くなった。

 

桐島容疑者は’74年4月に、東京・銀座のビルに入っていた韓国産業経済研究所に手製爆弾を仕掛けて爆発させたとして爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されていた。しかし約50年にわたって逃亡し、一度も逮捕されることはなかった。

 

警視庁公安部が桐島容疑者を名乗る男性の身柄を確保したことを、各メディアが一斉に報じたのは1月26日。だがわずか3日で男性が死亡し、事件の全容解明が困難となってしまった。

 

桐島容疑者といえば肩まで伸びた七三分けのヘアスタイルで、黒縁メガネをかけて笑っている姿を掲載した重要指名手配犯のポスターやチラシで知られていた。しかし確保された男性には、そうした面影はなかったという。

 

「男性は今月上旬に救急搬送され、末期の胃がんで重篤な状態でした。入院中の25日に自ら『桐島聡』だと打ち明け、『最期は本名で迎えたかった』という趣旨の話をしていたそうです。男性は『内田洋(ウチダヒロシ)』の名前で、神奈川県藤沢市内の土木会社に約40年間にわたって住み込みで勤務していたとのこと。いっぽうで健康保険証や運転免許証は所持しておらず、自費診療で治療を受けていたようです。搬送された際はかなり弱っていて、体もガリガリにやせ細っていたと聞いています」(全国紙記者)

 

警視庁公安部が身元確認を急ぐなか、29日朝に容態が急変して帰らぬ人に……。男性の口から“真相”を聞き出すことが叶わなくなったことに、ニュースサイトのコメント欄やSNSでは絶句する声が相次いでいる。

 

《結局逮捕は出来なかったので、公安の完全敗北やね》
《死人に口なし。事件に関しては全て闇の中か…》
《本当に。え?!の一言しかありません。ポカンとするばかり。狐につままれた様な話とは、このことです》
病気で死にそうになったところで、自ら名乗り出る。警察への最後の挑戦ですね。 本人と確認できても捕まえる事も取り調べる事も出来ない、罰を与える事も出来ない、捜査関係者としては最高に悔しい状況になっているんじゃないかと思いますね》

 

死の間際に“本名”を明かした男性の思惑は、闇に葬られてしまったーー。

出典元:

WEB女性自身

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