パレスチナの観光の振興ために尽力してきた降旗さん(写真提供:JICA) 画像を見る

「私の生活圏には、エルサレム市内の南側にあるジャーマンコロニーと呼ばれる地区があります。近くにはファーストステーションという1800年代に建てられた駅舎を改装した複合商業施設があります。

 

今も、その周辺を散歩していますが、ベールをまとったイスラムの女性に出会えば、キッパー(ユダヤ教徒の男性が頭にのせる小さな帽子)をつけたユダヤ人ともすれ違います。なかにはお酒を飲んでいる人も。宗教や文化は入り交じっていますが、この紛争下でもぶつかり合うことなく普通に生活している。これもエルサレムのもう一つの“今”なのです」

 

そう語るのは、パレスチナで活動する降旗翔(ふりはたかける・41)さん。降旗さんは2021年8月からJICA(独立行政法人国際協力機構)の技術協力事業専門家として、パレスチナ自治政府の観光遺跡庁に派遣され、パレスチナ観光の振興事業に携わっている。

 

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に関わる、考古学的にも宗教的にも貴重な文化遺産が点在するイスラエル・パレスチナ地域。JICAを通じて、日本は長年パレスチナの観光事業を支援してきたが、昨年10月7日のイスラム組織ハマースのイスラエル攻撃、その後のガザの治安悪化で状況は一変してしまったという。降旗さんにパレスチナ観光の現状を聞いた(前後編の後編)。

 

■「まずいことが、起きているんじゃないか」

 

「パレスチナ」というのは、本来は地中海南東岸の広い地域を指す言葉。1948年のイスラエル建国以降、もともと住んでいたアラブ系住民は居住地を制限され続けてきた。パレスチナ解放機構(PLO)とイスラエルのオスロ合意に基づき、1994年にパレスチナ自治政府が成立。ガザ地区とヨルダン川西岸地区の自治を実施していたが、自治政府内の内紛によって2006年にガザ地区はハマースの支配下に置かれ、両地区は分裂状態にある。

 

イスラエル領を挟んで両地区は完全な飛び地になっており、降旗さんはエルサレム、そしてヨルダン川西岸地区にあるベツレヘムで生活し、活動を行っている。

 

昨年10月7日の早朝に起きたハマースによるイスラエル攻撃を降旗さんが振り返る。

 

「私が勤めているパレスチナの観光遺跡庁はベツレヘムにあります。エルサレムから10~15キロぐらいのところなので、車通勤をしているのですが、境界にイスラエル軍によるチェックポイント(検問所)があって、それを越えて、通勤している形になっています。

 

今回のハマースによるイスラエルへの攻撃は前触れもなく発生しました。その日の朝、まさに車でチェックポイントを越えて、西岸に入ったところでした。通り過ぎてすぐ、後ろのほうでチェックポイントが閉まるのが見えたんです。“なにか、まずいんじゃないかな”という気がして、すぐに観光遺跡庁とJICA関係者に連絡しました。過去にも治安上の緊張が高まった際、チェックポイントが閉まってしまうということがあったので。

 

状況確認をしたら、同僚が、『今回、ミサイルも飛んできているし、今までと状況違うぞ』と教えてくれて。至急、エルサレムに戻ることになったのですが、いつも利用するチェックポイントは閉じていたため、同僚やJICA関係者とやり取りをしつつ、別のチェックポイントからエルサレムに戻れました」(降旗さん、以下同)

 

その後、現地報道やJICA関係者などとのやり取りを通じて、予想を超えて事態が深刻だということに気づいたという。

 

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出典元:

WEB女性自身

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